ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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ポーランド北西部、ザホドニオポモジェ県の県都。人口41万5576(2001)。オドラ(オーデル)川河口左岸に発達する港湾都市で、ポーランドの重要港。ドイツ名シュテッティンStettin。ドイツ国境に近く、ベルリンは南西130キロメートルにあって、第二次世界大戦前まではベルリンの外港であった。埠頭(ふとう)など港湾施設は優れているが、シュチェチン湖、ドンビエ湖という水深の浅い湖を経てバルト海へ出るため、大型外洋船の入港に困難がある。貨物取扱量でグダニスクとほぼ並ぶポーランド第二の要港で、シロンスク地方の石炭とコークスを最大の輸出品とし、最大の輸入品は鉄鉱石である。内陸国のチェコ、スロバキアに国際協定によって港湾の一部を提供している。工業は造船業を筆頭に機械工業、化学工業、金属加工、水産加工、製紙、セメント工業が重要である。
7~8世紀にスラブ人集落として開かれ、1124年にはポモジェ(ポメラニア)地方最大の都市となった。1278年にハンザ同盟に加入して繁栄したが、15世紀以降はドイツ人の東への漸進とともに植民化が進み、しだいにプロシアの影響を受けるようになった。のちにデンマーク、スウェーデン、ブランデンブルク、プロシアが領有を争った。18世紀にはオドラ川とエルベ川を結ぶ運河が開通し、広い中部ヨーロッパを後背地として繁栄した。第二次世界大戦後ポツダム協定によってポーランドへ編入された。
[山本 茂]
…ポモジェ地方はポーランドとプロイセンの勢力が複雑にかかわりあった歴史をもつが,1945年のポツダム会談でその大部分がポーランド領となった。現在の行政区分ではシュチェチン,コシャリン,スウプスク,グダンスク,エルブロンクの5県にほぼ相当する。ビスワ川とオーデル川の間の地で,北はバルト海,南はバルタ川とその支流のノテチ川で囲まれる範囲である。…
※「シュチェチン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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