シューマッハー(英語表記)Schumacher, Fritz

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シューマッハー
Schumacher, Fritz

[生]1869.11.4. ブレーメン
[没]1947.11.5. リューネブルク
ドイツの建築家。ミュンヘン,ベルリンの工業学校に学んだ。 1899~1908年ドレスデン高等工業学校教授。ハンブルクをはじめ,多くの大都市の都市計画にたずさわり,学校,公園,市庁舎など公共建築物を設計。代表作はドレスデン火葬場 (1908) とハンブルク火葬場 (33) 。著述にすぐれ,『近代煉瓦建築の特質』 Das Wesen des neuzeitlichen,Backsteinbaus (17) ,『1800年以後のドイツ建築芸術の諸動向』 Strömungen der dt. Baukunst seit 1800 (35) ,『建築芸術の精神』 Der Geist der Baukunst (38) などの著書がある。

シューマッハー
Schumacher, Kurt

[生]1895.10.13. ウェストファーレン,クルム
[没]1952.8.20. ハノーバー,バートピールモント
ドイツ社会民主党の指導者。ハレ,ライプチヒ,ベルリンの諸大学で学び,第1次世界大戦で右腕を失った。 1918年社会民主党に入党。 20年ウュルテンベルク州の党機関紙編集長,次いでドイツ社会民主党機関紙『フォアベルツ』の編集長となった。 24~31年ウュルテンベルク州議会議員,30~33年国会議員。共産党とナチスを激しく批判し,33年投獄された。 45年4月釈放され,ただちに社会民主党の再建に着手し,共産党との統一を志向する O.グローテウォールとの激しい抗争ののち,46年社会民主党再建大会で党首に選ばれた。 49年から西ドイツ連邦議会議員として,K.アデナウアーの西ヨーロッパ依存政策に反対したが,52年病死。

シューマッハー
Schumacher, Ernest Friedrich

[生]1911.8.16. ボン
[没]1977.9.4. スイス,フリブール
ドイツ生れのイギリス経済学者。 1930年オックスフォード大学で経済学を学んだあと,コロンビア大学で経済学の講義を担当するが,実践的知識を求めて農業やジャーナリズムにもたずさわる。 37年にナチス・ドイツを逃れイギリスに亡命。第2次世界大戦中はオックスフォード大学で研究生活をおくり,45~50年にはイギリスのドイツ占領委員会経済顧問をつとめた。 50~70年イギリス石炭委員会会長,70年以後はイギリス土壌委員会会長を歴任。また,政府派遣のエネルギー問題専門家としてインド,ビルマにも赴任した。その多様な実務的知識と経済学理論をもとにして,途上国がとるべき開発戦略は「中間技術」 (生活に密着した安価な技術) の育成であると結論づけ,西欧型社会ではない「もうひとつの社会」のあり方を主張した。主著『人間復興の経済学』 Small Is Beautiful (1973) 。

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百科事典マイペディアの解説

シューマッハー

ドイツの建築家。ブレーメン生れ。ドレスデン工業大学教授を務めたのち,ハンブルクやケルンの土木建築監督として公共建築や都市計画を手がけた。ドイツ工作連盟の設立に参加。煉瓦を多用し,新様式を試みながらも,ドイツ建築の伝統を堅持した。代表作にドゥールスベルクの小学校(1923年)がある。

シューマッハー

ドイツの政治家。第1次大戦後ドイツ社会民主党に入り,機関紙編集長,国会議員となったがナチス政権下では12年間収容所に拘禁された。戦後西ドイツで党を再建,党首(1946年―1952年)として反共民主主義と自主外交を唱え続け,アデナウアー好敵手でもあった。

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大辞林 第三版の解説

シューマッハー【Schumacher】

〔Ernst Friedrich S.〕 ⇒ シュマッハー
〔Kurt S.〕 (1895~1952) ドイツの政治家・経済学者。第二次大戦後、社会民主党を再建して党首となり、民主主義の実現に貢献した。

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