日本大百科全書(ニッポニカ) 「シラウオ」の意味・わかりやすい解説
シラウオ
しらうお / 白魚
Japanese icefish
Japanese noodfish
[学] Salangichthys microdon
硬骨魚綱サケ目キュウリウオ科に属する海水魚。北海道の網走(あばしり)湖から岡山県にかけての太平洋側と熊本県にかけての日本海側、樺太(からふと)(サハリン)、沿海州から朝鮮半島東岸までに分布する。全長10センチメートル余りの細身な小魚。体は生きているときは透明であるが、死後は白色になる。イワシのシラス幼生に似た特徴をもち、幼形で成熟する珍しい魚である。
内湾や岸辺、汽水湖で動物プランクトンを食べて成育し、2~5月に群れをなして川の下流または汽水湖にさかのぼって産卵する。雌雄は別々に群れをつくり、産卵のときに合流する習性がある。雄は胸びれがとがり、臀(しり)びれ基底上に16~18枚の鱗が1列に並ぶので雌と区別できる。卵は径0.7ミリメートル前後の球形で、卵門に十数本の糸状体があり、これで卵門を下にして他物に粘着する。受精後2週間余りで孵化(ふか)し、湖または海に入って成育する。生後満1年で7~10センチメートルぐらいになって成熟し、産卵後は死亡する。産卵期に河口域で刺網、船曳(ふなびき)網、定置網、四つ手網などで漁獲し、吸い物、酢の物、卵とじにして賞味する。
本種に似たものにイシカワシラウオSalangichthys ishikawaiがある。青森県から和歌山県に生息し、2~6月に外海に面した5~10メートルの岩礁域の砂底で産卵する。臀びれ基底上の鱗(うろこ)が23~29枚あり、尾びれ基底の上下端に黒斑(はん)があることなどで他種と区別する。漁獲法、料理法はシラウオと同じ。有明(ありあけ)海の筑後(ちくご)川と緑川の感潮域には、日本固有種のアリアケヒメシラウオNeosalanx reganiusが生息し、3~6月に産卵する。アリアケシラウオSalanx ariakensisは有明海、朝鮮半島から渤海(ぼっかい)、黄海、台湾沿岸を経て、ベトナム北部沿岸までに生息し、10~11月に産卵する。両種はいずれも環境省のレッドリスト(2013)で、ごく近い将来野生絶滅の危険性がきわめて高い絶滅危惧ⅠA類に指定されている。なお、春に川を上って産卵する体色の透明なシロウオはハゼ類に属し、本種と分類上著しく異なる。
[落合 明・尼岡邦夫]
料理
シラウオは水分が多く、タンパク質や脂質は少ない。しかし、骨ごと食べられるのでカルシウムが多い。身がやわらかく、味は淡泊である。生(なま)のものは薄い塩水で洗い、水けをきって用いる。卵とじ、椀種(わんだね)、酢の物、茶碗(ちゃわん)蒸し、ちり鍋(なべ)、てんぷら、フライなど、料理の幅が広い。加工品としては、塩湯でゆでてから干したものがある。熱湯をかけて水けをきり、大根おろしで食べたり、酢の物、卵とじなどに利用する。島根県宍道湖(しんじこ)はシラウオの名所の一つで、シラウオ料理が多い。シラウオは生きたまま保存しておける時間がたいへん短いが、ここには、生きたシラウオをしょうゆにとって食べる躍り食いや、生ワカメとの酢みそ和(あ)えなどもある。
[河野友美]
民俗
東京近郊でも明治時代までは隅田川や多摩川でシラウオがとれた。江戸時代には、徳川家にシラウオを上納することになっていた佃島(つくだじま)(東京都中央区)の漁民によって、独占的にシラウオ漁が行われていた。漁期は旧暦11月から翌年3月までで、毎夜、船に篝火(かがりび)をたき四手(よつで)網でシラウオをとる光景は、江戸の風物詩でもあった。『事蹟合考(じせきごうこう)』など江戸時代の文献には、江戸表のシラウオは、徳川家康が命じて伊勢(いせ)湾のシラウオを移したものであるとあるが、佃島にも家康と結び付いた由来談がある。隅田川で漁をしていると、見たこともない白い魚がたくさん網にかかった。魚の頭には、徳川家の定紋(じょうもん)の葵(あおい)の形がついているので、シラウオに違いないと上申すると、家康は生まれ故郷の三河のシラウオが江戸でもとれるとは吉兆であるといって喜んだという。佃島では毎年1月、家康の命日にあたる17日に、氏神の住吉神社の神主や囃子(はやし)方などが船に乗って川に出て、御神酒(おみき)を流して川を清めるという「御神酒流し」の神事が行われた。
[小島瓔]