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ジャマイカ ジャマイカ Jamaica

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジャマイカ
ジャマイカ
Jamaica

正式名称 ジャマイカ。面積 1万991km2。人口 270万9000(2011推計)。首都 キングストン西インド諸島西部にある島国。西インド諸島第3の大島で,大アンティル諸島西部,キューバ島の東部南岸沖約 150kmのカリブ海に位置する。

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百科事典マイペディアの解説

ジャマイカ

◎正式名称−ジャマイカJamaica。◎面積−1万991km2。◎人口−270万人(2011)。◎首都−キングストンKingston(59万人,2011)。

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世界大百科事典 第2版の解説

ジャマイカ【Jamaica】

正式名称=ジャマイカJamaica面積=1万0991km2人口(1996)=250万人首都=キングストンKingston(日本との時差=-14時間)主要言語=英語通貨=ジャマイカ・ドルJamaican Dollarカリブ海にあるイギリス連邦に属する独立国。アンティル諸島中3番目に大きな島である。国名のジャマイカは,先住民アラワクが〈泉の国〉(ハマイカ。英語読みでジャマイカ)と呼んでいたところから名づけられたもの。

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大辞林 第三版の解説

ジャマイカ【Jamaica】

中部アメリカ、カリブ海のジャマイカ島を領土とする国。1962年イギリスから独立。ボーキサイトの世界的産出国。ブルーマウンテン-コーヒーの特産で知られる。住民は黒人。主要言語は英語。首都キングストン。面積1万1千平方キロメートル。人口270万( 2005)。正称、ジャマイカ。 〔「牙買加」とも当てた〕

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジャマイカ
じゃまいか
Jamaica

カリブ海域の西インド諸島で3番目に大きなジャマイカ島と多くの無人のサンゴ礁でできた小島からなる、イギリス国王(女王)を元首とする立憲君主国。北方145キロメートルにキューバ島が、東方にイスパニョーラ(エスパニョーラ)島が位置する。国名は先住民族タイノのことばで「木と水の大地」を意味する。日本の岐阜県の面積とほぼ同じ1万0991平方キロメートルで、人口266万3000(2006年推計)、274万(2011年推計)が住む。首都はキングストンで人口65万(2010年推計)。[栗原尚子・国本伊代]

自然

ジャマイカ島は、東西240キロメートル、南北60~80キロメートルの横長の島で、そのやや北寄りの中央部を中央山脈が連なり、東部のブルー・マウンテンズ山地には、コーヒーのブランド名として有名なブルー・マウンテン山(2256メートル)が最高峰としてそびえる。山脈を取り囲むように中央部から西部にかけては、国土の60%を占める石灰岩台地が広がり、北西部のコックピット・カントリー地方にはカルスト地形が多くみられる。グランデ川など多数の河川が中央山脈から流れ出て、その多くは地下水となって伏流し、山麓(さんろく)で湧出(ゆうしゅつ)する。南部には沖積平野と海岸平野が発達し、首都キングストンの西方でもっとも広くなっている。気候は熱帯海洋性であるが、山が多いために地域によって異なり、降水量は地形と貿易風の影響で、東部では年間2000ミリメートルを超え、ブルー・マウンテン山では西インド諸島中最高の5600ミリメートルに達する。南部の海岸平野では1000ミリメートル程度である。8~10月にもっとも降水量が多く、11~4月は乾期である。気温は南東部海岸地域を除いて年間24~27℃で、貿易風の影響でしのぎやすい。晩夏から秋に毎年ハリケーンが襲い、大きな被害を与えるほか、ジャマイカ島そのものが火山島であるため、地震も発生する。[国本伊代]

歴史

コロンブスが第二次航海時(1494)に、この地に到達。その後1509年にスペイン人フアン・デ・エスキベルが先住民タイノを征服して長い植民地時代の歴史が始まった。地下資源が発見されなかったため、食糧生産を中心とした農業開発が進み、先住民は労働力として酷使され、征服後短期間にその人口を激減させた。スペインと南アメリカを結ぶ貿易船の中継地としてスペインの植民地貿易の一翼を担ったが、その重要性はイスパニョーラ島には及ばなかった。
 イギリスの宰相クロムウェルが立案したカリブ海のスペイン領の奪取政策「西方計画」によって派遣されたイギリス遠征隊がイスパニョーラ島の占領に失敗したのちジャマイカ島を占拠(1655)し、スペインは1670年に締結したマドリード条約で正式にジャマイカ島をイギリスに割譲した。その結果、17世紀後半のジャマイカ島ポート・ロイヤルはカリブ海を航行するスペインの交易船をねらうイギリスの海賊の拠点として繁栄したが、1692年の大地震によって街が壊滅し、首都がキングストンに移転された。18世紀にキングストンはイギリス海軍の重要な基地となった。ジャマイカにはサトウキビ栽培が導入され、18世紀には、17世紀に繁栄をきわめたバルバドスを抜いて西インド諸島有数の砂糖生産地へと発展し、さらに19世紀初めにはイギリス植民地最大の砂糖生産地となった。
 1774年に実施されたジャマイカの統計調によると、680の砂糖プランテーションがあり、100万平方キロメートルの大農場では10万5000人の黒人奴隷と6万5000頭の家畜によりサトウキビが栽培されていたと報告されている。ほかの大農地でも、1200平方キロメートルに4万人の黒人奴隷が働いていたことが記録されている。
 イギリス、アフリカ、カリブ海を結ぶ三角奴隷貿易の中心地でもあったジャマイカには、19世紀なかばの奴隷制廃止までに40万人の奴隷が導入された。1830年代の西インド諸島における奴隷廃止と1848年のイギリスの自由貿易制の採用は、ジャマイカに大きな経済的打撃を与えた。さらに砂糖生産をめぐる西インド諸島間の競争、オランダのジャワ島におけるサトウキビのプランテーション栽培の開始、東ヨーロッパにおけるサトウダイコンによる製糖業の登場により、ジャマイカの経済は衰退した。
 ジャマイカの経済がふたたび活況を呈するのは、第二次世界大戦後のボーキサイトの開発によってである。1944年の選挙による議会設置、1953年の議院内閣制の採用、1959年の完全自治権の取得によって独立への道が準備された。その前年の1958年にジャマイカとトリニダードを中心に、そのほかの西インド諸島イギリス植民地を含めて西インド諸島連邦が結成されたが、同連邦の加盟を不利とみたジャマイカは1961年に脱退し、1962年8月6日に西インド諸島イギリス植民地のなかで最初の独立国となった。独立後、保守派のジャマイカ労働党(JLP)と中道左派の人民国家党(PNP)の二大政党が交互に政権を担当している。1970年代にPNPのマンリー政権下で急進的な社会主義政策による経済的混乱を経験したが、1980年の選挙で成立したJLPのシーガ政権は親米・自由主義路線へと政治・経済政策を大きく転換させた。1989年の選挙でPNPが政権を奪還したが、返り咲いたマンリー政権もかつての社会主義路線から方向転換して前政権の経済政策を踏襲し、1993年の選挙で圧勝した。一方この選挙で敗れたJLPは分裂して新党が結成されるなど、政界の再編成が進んだ。その後、1997年と2000年の選挙でも、PNPが圧勝し、4期連続して政権を担当したが、2007年の総選挙ではハリケーン災害の復旧の遅れなどで国民の支持を失い、野党のJLPが勝利して政権交代が実現した。しかし2011年の選挙ではふたたびPNPが政権を奪還した。このように政権交代を可能としている二大政党による政治運営も治安の安定とはかならずしもつながらず、1980年代から武装化した暴力組織が麻薬取引を活発化させ、アメリカの強い要請を受けた政府による麻薬組織の取り締まり強化政策に伴って、2010年には死者50名を超す、治安部隊と麻薬組織の武力衝突が発生した。[国本伊代]

政治

イギリス連邦の一員で、イギリス国王(女王)を元首とする立憲君主制をとり、国王の代理として総督が任命される。議会は二院制で、首相推薦の13名と野党指導者推薦の8名の計21名で構成される上院と、普通選挙により選出された63名からなる下院がある。任期はともに5年で、首相は下院における多数党党首が総督により任命される。政党は1930年代の労働運動の高揚に伴い組織されたジャマイカ労働党(JLP)と人民国家党(PNP)の二大政党が圧倒的な力をもち、独立後は交互に政権を担当している。対外関係では、対米協調とカリブ海諸国との連帯・協調が主軸で、カリブ共同体(CARICOM(カリコム))の主要な推進国となっているが、かつて1974年に「民主社会主義」宣言を行ったマンリー政権の下で当時のソ連、東欧諸国、北朝鮮、キューバへ接近した時期もあった。[国本伊代]

経済・産業

ジャマイカ経済は、農業、鉱業、製造業および観光業の4部門から成っている。農業部門は国内総生産(GDP)の6%前後(2009年、以下同じ)を占めるにすぎないが、労働人口の約20%を吸収しており、国土の約半分が農地として活用されている。植民地時代からの伝統的輸出産品である砂糖の生産は、その重要性が低下しているとはいえ、輸出総額の10%前後を占める重要な経済部門である。砂糖以外の伝統的な農業輸出産品には、バナナ、カカオ、コーヒーなどがある。このような輸出向けの農産物が経済の重要な柱になっている一方で、ジャマイカは輸入総額の10%前後を食糧に当てるほど食糧輸入国でもある。
 鉱業はボーキサイト・アルミナ鉱業が中心で、輸出総額の約半分を占めるもっとも重要な輸出産品である。1942年に発見され、1952年に採掘が始められたボーキサイトは、世界有数の埋蔵量が確認されおり、生産量では世界第4位(2010)である。
 近年成長が著しい製造業は衣料縫製品を中心として、輸出総額の15%前後を占めるまでに成長している。雇用および外貨獲得で大きな役割を果たしている観光業は、ジャマイカ島北部海岸のモンテゴ湾やオチョリオスを中心にリゾート施設が整備されており、青い空と輝く太陽に白い砂浜、アフリカ的な文化風土が欧米の観光客を引き付けている。またキングストンはレゲエ音楽の発祥の地でもあり、博物館となったレゲエ音楽の始祖ボブ・マーリィの生家を訪れる観光客も多い。通貨はジャマイカ・ドル(JMD)。[国本伊代]

社会・文化

多民族多文化国家を標榜(ひょうぼう)するジャマイカは、アフリカ系黒人とその混血が国民の95%を占めているとはいえ、ヨーロッパ系、中国系、インド系、アラブ系など少数ながら多数の民族集団を擁する多民族多文化国家である。このような人種・民族構成の結果、宗教も多様である。英国教会、プロテスタント、カトリックを含むキリスト教が主流であるが、イスラム教、ヒンドゥー教などのほかにアフリカへの帰還願望を特色とする独特の新宗教運動ラスタファリがある。とくにラスタファリ運動は黒人優位主義とアフリカ帰還思想を掲げ、ほかのカリブ海地域の住民や欧米に移住したアフリカ系移民の間にも広まっている。公用語の英語は、西アフリカやそのほかの言語が混じって、ジャマイカなまりの強い英語となっているが、教育水準の高い人々はイギリス英語を話す。義務教育は6~12歳であるが、公立学校は高校まで授業料が無料で、15歳以上の識字率は90%(2010)である。キングストンには、西インド諸島のイギリス連邦諸国で共同運営する西インド大学の本部が置かれている。[国本伊代]

日本との関係

1962年(昭和37)のジャマイカ独立時に日本は国家の成立を承認し、翌1963年に国交を樹立した。相互に大使館を設置している。貿易関係は、自動車や機械類を日本から輸入しているジャマイカ側の大幅な輸入超過となっているが、世界的に有名なブルー・マウンテン・コーヒーを代表とするジャマイカのコーヒーの最大の輸入国は日本である。またレゲエなどを通じてジャマイカの音楽が日本で広く知られている。[国本伊代]
『エリック・ウィリアムズ著、川北稔訳『コロンブスからカストロまで――カリブ海域史,1492―1969』(2000・岩波書店) ▽加茂雄三著『地中海からカリブ海へ』(1996・平凡社) ▽L・E・バレット著、山田裕康訳『ラスタファリアンズ――レゲエを生んだ思想』(1996・平凡社)』

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世界大百科事典内のジャマイカの言及

【アメリカ】より

…オランダ人は54年に完全撤退するまで,ブラジル北東部を事実上支配した。スペイン領のカリブ海諸地域に対しては,イギリス,フランス,オランダの私掠船の活動が16世紀後半からはげしくなり,1655年イギリス人はジャマイカを占領して,サトウキビ栽培を始めると同時に,メキシコ沿岸および大・小アンティル諸島への攻撃と密貿易の基地にした。スペインは60年にイギリスの同島保有を承認した。…

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