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ジョアンビル ジョアンビルJoinville, François-Ferdinand-Philippe-Louis-Marie d'Orléans, Prince de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジョアンビル
Joinville, François-Ferdinand-Philippe-Louis-Marie d'Orléans, Prince de

[生]1818.8.14. ヌイイ
[没]1900.6.16. パリ
フランスの海軍軍人。フランス王ルイ・フィリップの第3子。 1840年ナポレオン1世の遺骸セントヘレナからフランスに持帰った。 48年二月革命の際イギリスに逃れ,のちアメリカに渡ったが 70年帰国。 71年国民議会議員にオートマルヌ県から選出された。

ジョアンビル
Joinville, Jean, Sire de

[生]1224頃
[没]1317.12.24. ジョアンビル
フランス,ジョアンビルの領主,年代記作者。フランス王ルイ9世に従って第7次十字軍に出征し,ともに捕虜となるなど帰国まで王と行動をともにした (1248~54) 。『聖ルイの歴史』 Histoire de Saint Louisはこの間の回想を中心にした同時代史で,第7次十字軍およびルイ9世治世の貴重な史料である。

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百科事典マイペディアの解説

ジョアンビル

フランスの領主年代記作者。友人でもある国王ルイ9世に仕え,1248年第7回十字軍のエジプト遠征に参加,王とともに捕虜となり,1254年帰国した。主著《聖王ルイの歴史》は末期十字軍とルイ9世の正確な史料。

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世界大百科事典 第2版の解説

ジョアンビル【Jean,sire de Joinville】

1225ころ‐1317
フランス,シャンパーニュ地方の貴族で,《聖王ルイの歴史Histoire de Saint Louis》の著者。仏王ルイ9世の率いる第7回十字軍にあとから加わり,1249年エジプトで王軍とともに戦い,共に捕らわれの身となる。この捕囚生活は王に親しく接する好機となり,釈放された後も,王と行動を共にし,パレスティナに赴く。だが帰国後は,新たな十字軍に参加せよとの王の懇請を,一身上のつごう,家庭の事情を盾に拒み,王が遠征地のカルタゴでペストで死ぬ一方,ジョアンビルはシャンパーニュ伯の家老(セネシャル)として,平穏無事な余生を送る。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジョアンビル
じょあんびる
Jean de Joinville
(1224?―1317)

フランスの年代記作家。シャンパーニュ伯の家令の家に生まれる。父の死後ルイ9世に仕え第7回十字軍(1248~54)に参加。エジプトで国王とともに一時捕虜になる。国王の親友としてつねに傍らにあったが、最後の十字軍(第8回、1270)には参加しなかった。晩年80歳を超えてからジャンヌ・ド・ナバルの要請で『聖王ルイ伝(ジョアンビル殿の回想録)』Mmoiresを書いた(1305~09)。これは模範的キリスト教徒としてのルイ9世の言行を活写し、時代の雰囲気を伝える貴重な文献の一つとなっている。[安斎和雄]

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