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ジョルジョーネ Giorgione

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジョルジョーネ
Giorgione

[生]1476/1478. カステルフランコ
[没]1510. ベネチア
イタリアの画家。別名 Giorgio Barbarelli。ジョバンニ・ベリーニの弟子。ベネチアにおける盛期ルネサンス様式の創始者。ただし生涯については不明な点が多く,確証ある作品も少い。主として個人の収集家のために油絵を制作。 15世紀の線的様式を脱して精妙な明暗表現を確立し,自然と人間が調和的に融合した詩的空間を創造。同時代人,特にティツィアーノおよび後世の画家に与えた影響が大きい。作品は『カステルフランコの聖母』 (1505頃,サン・リベラーレ大聖堂) ,『』 (05頃,ベネチア・アカデミア美術館) ,『3人の哲学者』 (10頃,ウィーン美術史美術館) ,風景はティツィアーノが描いたといわれる『眠れるビーナス』 (10頃,ドレスデン国立絵画館) など。

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デジタル大辞泉の解説

ジョルジョーネ(Giorgione)

[1477ころ~1510]イタリアの画家。盛期ルネサンスベネチア派代表者の一人。人物と自然とを一体となし、情趣に富む詩的な作品を残した。作「三人の哲学者」「眠れるビーナス」など。

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百科事典マイペディアの解説

ジョルジョーネ

イタリア盛期ルネサンスのベネチア派の代表的画家。本名ジョルジョ・ダ・カステルフランコGiorgio da Castelfranco。生涯については不明の点が多い。
→関連項目セバスティアーノ・デル・ピオンボティツィアーノドレスデン国立絵画館パルマ・イル・ベッキオ

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世界大百科事典 第2版の解説

ジョルジョーネ【Giorgione】

1477ころ‐1510
イタリアの画家で,ベネチア盛期ルネサンスの代表的巨匠。本名ジョルジョ・ダ・カステルフランコGiorgio da Castelfranco。生涯および作品についての資料が乏しく,そのため真作決定,年代決定さらにその主題の図像学的意味の解明がはなはだ困難であり,その作品の芸術的価値ならびにその影響力については論議の余地がないとはいえ,美術史上もっとも謎の多い作家とされている。その色彩と明暗の諧調の微妙さはバザーリの絶賛するところで,明らかに師のジョバンニ・ベリーニの色彩美と,レオナルド・ダ・ビンチのスフマートの影響がある。

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大辞林 第三版の解説

ジョルジョーネ【Giorgione】

1478頃~1510) イタリアの画家。ベネチア派。自由な感覚を重んじ、甘美な色調と詩的情趣に富む画風を確立。代表作「嵐」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジョルジョーネ
じょるじょーね
Giorgione
(1477/78―1510)

イタリア盛期ルネサンスのベネチアの画家。ジョルジョーネは通称。正式名はジョルジオ・ダ・カステルフランコGiorgio da Castelfrancoで、北イタリアの小村カステルフランコ・ベネトに生まれる。若くして没したこの画家は、その生涯についても作品の帰属についても未解決の問題を多く残している。1495年ごろベネチアに出て、まずジョバンニ・ベッリーニのもとで修業するが、ひとり立ちしたあとで彼が油彩の小品をよく描いたのは、ベネチア出身でなかった彼に聖堂の仕事が希望どおりに提供されなかったためといわれる。美術史上とくに注目されるのは、風景に人物を配した2点の作品である。そのうちの1点『嵐(あらし)』(ベネチア、アカデミア美術館)は、前景に牧人の家族らしい点景人物を据えた純然たる風景画であるが、鮮やかな色彩の自然描写に嵐の到来を暗示する雰囲気がよく示されている。もう1点の『田園の合奏』(パリ、ルーブル美術館)は、着衣の男子2人と裸婦2人を自然の環境に組み入れたもので、穏やかな光を受けた人体の柔らかな輪郭が、背景の色彩によく調和している。1508年に彼がフォンダコ・ディ・テデスキ(在ベネチアのドイツ人商館)の正面に壁画を制作したことは記録からも立証され、退色した断片も残っていて、神話上の人物像の描かれたことは推測できるが、その主題は不明である。出身地カステルフランコの大聖堂に制作した祭壇画『聖母子と二聖者』には、かつて師事したベッリーニの後期の画風の影響が明瞭(めいりょう)であり、ジョルジョーネの初期の作品と推定できる。『三人の哲学者』(ウィーン美術史博物館)は、幼児キリスト礼拝のためベツレヘムへ向かう3人のマギが、星の出るのを待つ場面であるが、点景人物と風景との配合に一段の進歩が認められる。1510年に疫病で倒れたジョルジョーネが未完のまま残した前記『田園の合奏』や、『眠れるビーナス』(ドレスデン国立絵画館)その他の作品がティツィアーノやピオンボによって完成されているため、真贋(しんがん)、帰属にかかわる論議は依然終わっていない。[濱谷勝也]

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世界大百科事典内のジョルジョーネの言及

【ティツィアーノ】より

…伝承では,9歳のときベネチアに出てモザイク画家ツッカートSebastiano Zuccatoの門に入り,次いでベリーニ一族(とくにジョバンニ)の工房で学ぶ。早熟な才能を発揮し,1508年には同門のジョルジョーネの協力者としてフォンダコ・デイ・テデスキ(ドイツ人商館)の外壁装飾に参加。この先輩画家の詩情あふれる新様式から決定的な影響を受けるが,逆に彼にも刺激を与え,その夭折(1510)後は残された作品を完成した(ドレスデン国立絵画館の《眠れるビーナス》やルーブル美術館の《田園の奏楽》)。…

【ベネチア派】より

…フィレンツェにおいては建築,彫刻,絵画が相互に有機的な関連をもって発展し,むしろ前二者が絵画を主導したのに対し,ルネサンス期ベネチアの美術の最も重要な特徴は,わずかな例外(建築のコドゥッチM.Coducciや彫刻のリッツォA.Rizzo等)を除いて,もっぱら絵画の分野において独自の発展と豊饒な歴史的成果の達成が見られたことであろう。ベネチア派はしたがって絵画的流派であり,またその代表的な芸術家(ジョバンニ・ベリーニからジョルジョーネ,ティツィアーノ,ティントレット,ベロネーゼまで)もフィレンツェ派の知的理論的で多能な天才たち(アルベルティからレオナルド・ダ・ビンチ,ミケランジェロまで)とはまったく異なり,もっぱら感覚本位の専業画家であった。 ベネチア派の〈絵画的〉特性はさらに絵画自体の特質をも規定している。…

※「ジョルジョーネ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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