アメリカの小説家。2月27日カリフォルニア州モンテレー郡サリーナス生まれ。父はドイツ系、母はアイルランド系で、母方の祖父母への傾斜が強くみられ、ケルト民族の血の意識が濃い。自然を愛し、宇宙の神秘に感動し、暗い憂愁に彷徨(ほうこう)する民族への思いである。高校で陸上競技やバスケットボール選手として活躍、作家というより典型的な西部男という風貌(ふうぼう)。1920年スタンフォード大学に入学、英文学を学ぶかたわら、ギリシア古典文学、生物学に関心を示し、在学5年で退学。ニューヨーク市へ出てれんが運びや記者生活ののち、故郷へ帰る。
第一作は17世紀イギリスの海賊を題材にした歴史小説『金の杯(さかずき)』(1929)。そののち、一転して故郷に取材し、これが生涯の中心モチーフとなったので、「地方色作家」とよばれ、また故郷の地を「スタインベック・カントリー」とよぶ批評家もいる。しかし、作者の主題は一地方の人間に限られるわけではなく、人間と自然、西欧と非西欧への問いが一貫して認められる。作品には『天の牧場』(1932)、『知られざる神に捧(ささ)ぐ』(1933)、『トーティヤ台地』(1935)、『勝敗のわからぬ戦(いくさ)』(1936)、『二十日鼠(はつかねずみ)と人間』(1937)、『長い谷間』(1938)、『怒りの葡萄(ぶどう)』(1939)、『月は沈みぬ』(1942)、『缶詰横町』(1945)、『赤い子馬』(1945)、『気まぐれバス』『真珠』(ともに1947)、『コルテスの海の航海日誌』(1951)、『エデンの東』(1952)、『ピピン4世の短い治世』(1957)、『在りし日の戦』(1958)、『われらが不満の冬』(1961)、『チャーリーとの旅』(1962)、『アメリカとアメリカ人』(1966)があり、遺稿も刊行されている。その作品は牧歌調の作品、社会意識に目覚めた作品、諧謔(かいぎゃく)に富んだ作品に大別することができる。短編には心理主義を試みた作品もあり、その才は多方面に及んだが、作家としての円熟期に第二次世界大戦を体験したため十分力を発揮できなかった。
1942年故郷を去ってニューヨーク市に住み、1960年まで故郷を訪ねなかった。晩年はアメリカ文明を批判、キリスト教と異教、近代の産業主義と原始主義などのテーマと取り組んだ。人道主義的作風は野生人としての自然愛に裏づけられ、伝統的西部開拓者の剛毅(ごうき)と悲哀が込められている。1957年(昭和32)国際ペンクラブ大会で来日。1962年ノーベル文学賞受賞。1968年12月20日、ニューヨークで没。
[稲澤秀夫]
スタインベックの短編小説は『天の牧場』(1932)、『長い谷間』(1938)、『赤い子馬』(1945)の3冊に収められ、この作家の世界をよく要約している。
『天の牧場』The Pastures of Heaven 小説の場を一つの村に限定し、そこに住む人々を次々に取り上げ、村全体の姿を浮かび上がらせる手法により、名もなく朽ちてゆく人々の夢と挫折(ざせつ)を語る叙情作品集。
『長い谷間』The Long Valley 独立した話の集まりで、アンドレ・ジッドも賞賛した短編集。成熟した女の夢と精力を菊の花に託した『菊』、女の夢と利己性をウズラに託した『白いウズラ』、中年女の性の欲望を蛇に託した『蛇』、女に縛られた男の悲哀をスイートピー栽培に託した『肩当て』などの心理主義的作品をはじめ、共産主義への作者の関心を示す『襲撃』、諧謔(かいぎゃく)を含んだ『熊(くま)のジョニー』『処女ケイティ様』がある。またいちばん短い『朝めし』は、日雇い労働者の情感を早朝のひとときに凝縮して描き、長編『怒りの葡萄(ぶどう)』の一こまとして収められているが、独立した別種の深い味わいのある秀作。
『赤い子馬』The Red Pony 四つの短編からなる叙情作品。少年ジョディの成長に、作者自身の生い立ちをみることができる。
[稲澤秀夫]
『大久保康雄訳『スタインベック短編集』(1954・新潮社)』▽『石一郎編『スタインベック』(1967・研究社出版)』▽『稲澤秀夫著『スタインベックの世界』(1978・思潮社)』
アメリカの小説家。カリフォルニア州サリーナスに生まれ育った。作家自身は自分の気質とその血統との結びつきを重視するが,むしろカリフォルニアの風土こそが彼の作品と血肉的な関係をもつ。その作家的栄誉を担う作品がすべてこの地を母胎とするに反し,ここと断絶した世界に文学空間を築こうとした少数の作品では,作者の想像力が自由に躍動していないうらみが残る。1919年に入学したスタンフォード大学では生物学(特に海洋生物学)に興味を示したが,モンテレーの生物学者エドワード・リケッツとの親交は〈非目的論的思考〉と自称する基本的思考態度を培い,いわゆる〈生物学的人間観〉や〈集団人(グループ・マン)〉なる認識を定着させた。その内容はリケッツとともに行ったカリフォルニア湾での生物採集記録《コルテスの海》(1941)に詳しいが,人間社会の事象をも善悪の判断や価値観とは無縁の生物界の現象からの類推によってとらえようとするこの態度は,彼の人間観・世界観の根底をなす姿勢であるだけに,作品のすべてに影を投じている。出世作《トティーヤ台地》(1935)は,モンテレー郊外のパイサノと呼ばれる混血の土着民たちの,競争社会から解放された野放図な生活と意見とを,共感のうちにユーモアとペーソスをこめて説話風に描いた佳編だし,連作短編集《天の牧場》(1932)も《知られざる神に》(1933)も,また好評を博した《二十日鼠と人間》(1937)も,激烈な資本主義的闘争の場としての都市の喧騒を遠く離れた農村を舞台に,農民の土に寄せる愛情と信頼を肯定的に描いている。ごうごうたる賛否両論の渦まく中でピュリッツァー賞を授与され,彼の名を国際的にも高からしめた代表作《怒りの葡萄》(1939)も,貧窮農民の共闘の様を伝える迫真的描写の底から,彼らをも包摂して動いてゆくアメリカ社会と人類全体の永遠の歩みに信頼を寄せる作者の楽天的人間観と生命賛歌が聞こえてくる。《月は沈みぬ》(1942)に始まる第2次大戦後の彼の文学的営為に対しては,その衰退を指摘するのが一般であるが,南北戦争から第1次大戦に至るアメリカ社会の変遷に自身の家系を絡め,原罪意識からの人間解放を旧約聖書の物語に託して語ろうとした大作《エデンの東》(1952。ジェームズ・ディーンの登場で評判を呼んだエリア・カザン監督の同名の映画はこの第4部に基づく),1962年度ノーベル文学賞授与の契機となった《われらが不満の冬》(1961)など,不評に抗する意欲は熾烈であった。しかし,その後見るべき作品は生まれず,ジョンソン大統領の盟友をもって任じる彼が,ベトナム戦争に介入の度を深める同大統領の政策をも全面的に支持したとき,これを糾弾するソ連側の声に反論を加えることもなしえぬままに,1968年12月心臓疾患のため急逝した。1957年東京の国際ペン大会に来賓として来日。
執筆者:野崎 孝
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1902~68
アメリカの小説家。カリフォルニア生まれ。1930年代に季節労働者を描いた傑作『怒りの葡萄』(ピューリツァー賞受賞)や『エデンの東』など,素朴な人生への共感や強靭な生命への賛歌が横溢している。62年ノーベル文学賞受賞。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…ハリウッドは〈夢の工場〉と呼ばれていた。ジョン・スタインベックは次のように述べている。〈初期の映画は,中世ヨーロッパの大寺院のように生活に栄光をもたぬ人々のために栄光を開いてくれた。…
… 29年の大恐慌を境に,頽廃的ムードの中にも繁栄していた1920年代の社会は冷たく暗い幻滅感と危機感をたたえた社会へと変わり,社会的関心を第一とする作品が目につくようになる。ノリス的自然主義者スタインベックは《怒りの葡萄》(1939)で農民の窮境を叙事詩的に語り,コールドウェルは南部の貧しい白人を,J.T.ファレルは都会の不良少年を,黒人作家R.ライトは抑圧された黒人の姿を,それぞれなまなましく描いた。またT.ウルフやH.ミラーは自伝的作品によって原始的生命をもった個性への復帰を示した。…
…アメリカの作家スタインベックの小説。1939年刊。…
※「スタインベック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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