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スマッツ スマッツSmuts, Jan Christiaan(Christian)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スマッツ
Smuts, Jan Christiaan(Christian)

[生]1870.5.24. リーベークウェスト
[没]1950.9.11. プレトリア,イレーネ
南アフリカ共和国の政治家,軍人。ケンブリッジ大学を経て 1895年弁護士を開業。 98年南アフリカ共和国検事。イギリスとの関係が悪化するなかで自治獲得の交渉にあたり,決裂後のボーア (ブール) 戦争では軍を指揮した。 1906年トランスバール自治植民地成立後は L.ボータとイギリスに対する協調政策を推進し,10年南アフリカ連邦が成立。 17~18年イギリス戦時内閣閣僚。 19~24,39~48年南アフリカ連邦首相。国際連盟の創設に貢献し,国際連合憲章草案の起草にも参画した。著書に『ホーリズムと進化』 Holism and Evolution (1926) などがある。

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百科事典マイペディアの解説

スマッツ

南アフリカ共和国の政治家。1898年トランスバール共和国の国家代理人として対英交渉に当たり,ボーア戦争中は反英ゲリラを指揮。戦後南ア連邦成立に努力,2度その首相となる。
→関連項目ヘルツォーク

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世界大百科事典 第2版の解説

スマッツ【Jan Christiaan Smuts】

1870‐1950
南アフリカ連邦の軍人,政治家。ケープ植民地に生まれ,ステレンボス大学法学部卒業後,ケンブリッジ大学に留学した。1895年帰国後トランスバール共和国大統領クリューガーの知遇を得て国選弁護士となり,ボーア戦争中はボーア軍ゲリラを率いて戦った。1905年L.ボータと人民党を結成し,ボーア人の自治権回復を要求して渡英,06年トランスバール自治権回復とともにボータ自治政府の植民地次官兼教育相に就任した。10年の南アフリカ連邦成立後,鉱業・国防・内相となり,ボータと南アフリカ党を結成した。

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世界大百科事典内のスマッツの言及

【委任統治】より

…第1次大戦に敗れたドイツおよびトルコの統治を離れた地域を統治するために,国際連盟規約22条に基づいて設けられた制度。南アフリカのスマッツ将軍は,ロシア,トルコなどに属した地域は国際連盟自身または連盟が委任する国家によって統治されるべきであると主張した。アメリカのウィルソン大統領は,適用範囲について,ロシアを除き,ドイツの植民地を加えて,スマッツに同調した。…

【生命】より

…20世紀にはそのほかいろいろの種類の全体論が,主として発生学と生理学の成果を土台として提起された。全体論holismの語を提案(1926)したJ.C.スマッツのほか,J.S.ホールデン,B.デュルケンはおもな論者である。J.S.ホールデンは生体と環境を一個の全体とする見方を述べた。…

※「スマッツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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