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スマローコフ スマローコフ Sumarokov, Aleksandr Petrovich

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スマローコフ
スマローコフ
Sumarokov, Aleksandr Petrovich

[生]1717.11.25. ペテルブルグ
[没]1777.10.12. モスクワ
ロシア古典主義の代表的劇作家。 1750年ペテルブルグにロシア最初の常設劇場を開き,その支配人となる一方,ロシア最初の個人雑誌『働き蜂』 Trudolyubivaya pchela (1759) を創刊して後代の文学に影響を与えた。

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世界大百科事典 第2版の解説

スマローコフ【Aleksandr Petrovich Sumarokov】

1717‐77
ロシアの詩人,劇作家。名門貴族の出身で,幼年期より詩作をはじめる。フランス古典主義とくにラシーヌモリエールの影響を受けて,《ホレフ》(1747),《シナフとトルボル》(1750)などの悲劇を発表し,ロシア演劇新生面をひらいた。これらの作品では啓蒙君主の理想が強調され,個人的感情と国家に対する市民としての義務の相克が共通の主題となっている。彼の悲劇がきっかけとなってペテルブルグにロシア国立劇場が創設され,1756‐61年初代の支配人をつとめる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

スマローコフ
すまろーこふ
Александр Петрович Сумароков Aleksandr Petrovich Sumarokov
(1717―1777)

ロシアの劇作家。名門貴族の出身で、幼年学校卒業後しばらく軍隊に勤務し、エリザベータ女帝の寵臣(ちょうしん)ラズモフスキー伯爵の副官などを務める。軍務のかたわら、ラシーヌ、モリエールなどフランスの作家の影響を受けて『ホレーフ』(1747)、『シナフとトルウォル』(1750)、『僭称(せんしょう)者ドミトリー』(1771)など、歴史上の人物を主人公とする九編の悲劇を書いて、劇作の分野におけるロシア古典主義文学の代表者となった。これらは時、場所、筋の三一致という古典主義の厳密な規則に従ったロシア最初の作品で、どの悲劇にも共通してみられるテーマは、個人的感情と国家への義務の相克であり、つねに後者が勝ちを収める。劇作家としての経歴を買われ、ペテルブルグに創設されたばかりの国立劇場の支配人に任命され、レパートリーの選定や俳優の演技指導から財政や広告面の仕事まで一手に引き受けて活躍(1756~61)。また1759年にはロシアで初めての文芸雑誌『働き好きな蜜蜂(みつばち)』を創刊した。悲劇のほかに、現実のロシアの日常生活に題材をとった『母は娘の相談相手』(1772)、『けんか好きな女』(1772)、『妻を寝とられたと想像した男』(1772)など12編の喜劇や、数多くの寓話(ぐうわ)詩、頌詩(しょうし)、叙情詩などがある。晩年はエカチェリーナ2世の側近と折り合わず、窮死した。[中村喜和]

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