古代ローマの劇作家、哲学者、政治家。大セネカの次男。スペインのコルドバに生まれる。幼いころローマに上って、修辞学と哲学を学び、とくにストア哲学に多大の関心を示した。財務官から元老院議員になったが、カリグラ帝の嫉妬(しっと)を買い、あやうく死刑を免れた。クラウディウス帝(1世)の下で41年追放され、失意の8年をコルシカ島で過ごした。49年ネロの母アグリッピナに呼び戻されて、幼いネロの教育を任され、ネロの即位後もしばらく同僚ブルスSextus Afranius Burrus(?―62)とともに若い皇帝を補佐して善政に導き、55年執政官に任命された。その後、皇帝との間が冷却したため引退を願い出て、閑雅な文筆生活に入るが、65年ピソの陰謀発覚の件に連座、死を命じられた。ストア派の哲人にふさわしく、平静に自決したと伝えられる。
現存する作品は、対話編や書簡集などの哲学的著作と、悲劇を中心とする文芸作品に大別できる。対話編は、修辞学の形式に従った3編の『慰安文』のほか、哲学的・倫理学的論説で、『先見について』『賢者の不動について』『怒りについて』『幸福な生活について』『余暇について』『精神の平静について』『人生の短さについて』の7編。対話編のほかにも同様に道徳論的内容の『慈悲について』と『慈善について』、およびストア哲学の自然論を講じた『自然研究』の3編の論文があり、さらにルキリウスLuciliusにあてた124通からなる『書簡集』も一種の道徳論的エッセイで、幸福、最高善、富、死の恐怖など、人生の諸相について論じている。
悲劇10編のうち、『狂えるヘラクレス』『メディア』『トロヤの女たち』『フェニキアの女たち』『パイドラ』『オイディプス』『アガメムノン』『チュエステス』『オイタのヘラクレス』の9編は、ギリシア悲劇の翻案で、朗読用に書かれ、修辞と描写に優れているが、筋立てには無理が多い。しかしシェークスピアはじめ近世西欧の演劇に与えた影響は大きい。他の1編『オクタウィア』は現存する唯一のプラエテクスタ劇(ローマ国民劇)であるが、後代の偽作と考えられている。ほかに、散文と韻文を織り交ぜたメニッポス風サトゥラ(風刺文)の形式でクラウディウス帝(1世)の死を風刺した『かぼちゃ転身記』と、多くの偽作を含む77編のエピグラムが伝わっている。
[中山恒夫 2015年1月20日]
『樋口勝彦訳『幸福なる生活について 他一編』(岩波文庫)』
ローマ帝政初期のストア派哲学者,劇作家,政治家。スペインのコルドバに生まれ,すでに幼年時に弁論家の父,いわゆる老セネカと母ヘルウィアとともにローマに移り,修辞学,哲学を学んだ。とくにアッタロス,パピリウス,ソティオンらストア派哲学者の影響を受けた。その後財務官として政界入りを果たしたが,卓抜した弁論はカリグラ帝の嫉妬を買うところとなり,41年陰謀によってコルシカ島に追放された。48年小アグリッピナから召喚されて息子ネロの教育をゆだねられ,54年クラウディウス帝の死後は帝政の実権を握り,行政に腕をふるった。その間巨額の富を築き,哲学的信条と実生活の矛盾が非難を浴びた。〈彼は清貧以外はすべてを手に入れた〉と歴史家タキトゥスも自家撞着(どうちやく)に陥ったセネカの姿を皮肉な筆致で描いている。しかし62年,同僚ブルスの死を契機に公職を離れローマ近郊の別荘で著述活動に専念するが,65年ピソの陰謀に加わったかどでネロに自殺を命じられた。《道徳書簡》全20巻はこの隠遁生活の間に書かれたセネカの代表的哲学書である。友人ルキリウスにあてる形式をとった書簡文学で,老境に入った彼の全英知が平易な文体で披瀝(ひれき)されている。《閑暇について》もこの時期に書かれたものと推定される。セネカの哲学的著書はとくに16~18世紀に広く愛読され,とりわけモンテーニュには強い影響を与えた。セネカは初期ストア哲学の路線を継承したが,エピクロス派の哲学には他の人よりも好意的であった。彼は論理学や自然研究よりも倫理に強い関心を寄せ,とくに死に対して人間がとるべき態度に最大の関心をはらった。戯曲家としては《狂えるヘラクレス》《トロイアの女たち》《メデイア》《ヒッポリュトス》《オイディプス》《アガメムノン》《テュエステス》《オエタのヘラクレス》《フェニキアの女たち》の9編の悲劇を残している。このうち《オエタのヘラクレス》は偽作の可能性が強い。《オクタウィア》はすでに偽作と認定されている。セネカは劇的構成や展開および登場人物の行動よりも人間の心にひそむ情念の破壊的作用の描出に重点を置き,残酷なものへの志向が顕著である。これらの作品は後世,ラシーヌ,コルネイユ,マーロー,シェークスピアら英仏の劇作家にとくに大きな影響を与えた。
執筆者:三浦 尤三
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前4?~後65
古代ローマ帝政期のストア学派哲学者。コルドバの生まれ。ネロの師。最後はネロに自殺を強要された。多作の人で,同情,穏和,世界市民主義,人間愛などがその中心を流れる宗教的色彩の濃い道徳的教訓を説いた。実生活ではローマ屈指の大富豪でもあった。著作『幸福な生活について』など。
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…グアダルキビル川流域の豊かな農耕地帯を周囲に控えるコルドバは,ローマ期を通じてイベリアの代表的都市の一つとして大いに栄え,ローマ文化の一中心地だった。そしてローマ最大の思想家と評され,皇帝ネロの師であったストア哲学者セネカ,その甥で詩人のルカヌスその他の優秀な人材の生地であることから,〈子らに秀でたコルドバCorduba praepotens alumnis〉ともたたえられた。 しかし,コルドバがその歴史の中で最も繁栄し,広く知られるようになるのはイスラム期に入ってからである。…
…390年ころ成立し,ラテン語で書かれている。全14通のうち8通はセネカにより,6通はパウロによって記されているが,最後の2通は後代の付加であると考えられる。これらの手紙の主要関心はキリスト教によりもむしろ修辞学にあり,パウロの文体が洗練されるべきことが述べられる。…
…しかも母は54年クラウディウスを毒殺,ネロは16歳で帝位につき,ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスという長い称号をとった。 ネロの治政最初の5年間は,近衛長官ブルスやストア哲学者・修辞学者セネカのよい後見のもとに,前代の解放奴隷重用や売官の弊害を改め,元老院の権威を尊重し,裁判手続の公正な改善を図り,徴税請負の弊害を是正し,民衆への食糧輸送・配給を促進した。しかし都警長官ペダニウス・セクンドゥスが自邸で奴隷に殺されたときには,主人の殺害を阻止しなかったという理由で,同一家屋にいた奴隷すべてに連帯責任を負わせた元老院議決に,異議をさしはさまずサインし,400人の奴隷の処刑を,民衆の抗議を排除して実行した。…
… なお,バロック劇は,それに先立つルネサンス演劇(ルネサンス期の演劇)と明確に区分ができぬ部分を含むし,またそれはバロック劇の前史としても理解が必要であるので,ここではまずルネサンス演劇を関連のうえで概観することから説明を始めることとしたい。
[ルネサンス演劇からバロック劇へ]
イタリアでは15世紀後半に,人文学者たちによって古代劇(古典劇),特に古代ローマのセネカの悲劇とプラウトゥスの喜劇が再発見され,1486年にはその上演が試みられた。これによって正統的なドラマの概念が定着し,テキストを中心とした〈ことば〉の演劇が成立した。…
…ギリシア語およびラテン語のprismaに由来し,原義は〈削る〉。起源については明らかでないが,多くの稜をもつガラスに光を入射させるとスペクトルが得られることは古くから知られていたようで,1世紀にL.A.セネカが書いた《自然の研究》にもこのことが述べられている。プリズムに関してはニュートンが行った太陽光によるスペクトルの実験が有名で,彼は第1のプリズムによって得られたスペクトルを第2のプリズムを通すと再び白色光となることから,それぞれのスペクトルはもともと太陽光に含まれており,これらが集まって白色光となることを明らかにした。…
…レンズ生地の直径は通常65mm,大きくても75mmしかないから,あまり大きい枠を選ぶとこれが合わなくなるおそれがある。【高田 孝】
[歴史とファッション]
セネカ(前4ころ‐後65)はローマ図書館で水球儀を通して文字を拡大して本を読んだという。イギリスのR.ベーコンが《大著作》(1266‐68執筆)でレンズの効用を書いたことから彼を始祖とする説も多いが,他にフィレンツェの貴族サルビノ・デリ・アルマティ,ピサのアレッサンドロ・デラ・スピーナ(ともに14世紀初めに没)などの説もある。…
…共和政の崩壊によって実際の活動の場を失った弁論は,学校に入り,修辞学となって,すべての学問の基礎としての地位を獲得した。有名な弁論術教師には,演説の見本集を残した大セネカ,《弁論術教程》を著したローマ最大の修辞学者クインティリアヌス,皇帝マルクス・アウレリウスの師フロント,弁論のための資料集を編んだウァレリウス・マクシムスValerius Maximusなどがいる。 白銀時代の最大の作家は小セネカ(以下単にセネカと記す)とタキトゥスであろう。…
… 帝政期に入って,アウグストゥス帝の治世下では,高名な政治家であったアシニウス・ポリオGaius Asinius Pollio(前76‐後5)やオウィディウスなどが悲劇を書いたことが知られているが,彼らの作品はもはや舞台のものではなくなってしまった。ローマの悲劇でわれわれが今日読むことができるのは,ネロ帝治政下のセネカの作品だけである。彼の残した9編の悲劇はすべて〈クレピダタ劇〉で,《アガメムノンAgamemnon》《ファエドラPhaedra》《メデアMedea》などが有名である。…
…それがゆえにアウグストゥスによる内乱終結と元首政樹立は〈永遠のローマ〉理念の謳歌を生み出すが,ローマ没落観は帝政期にもなお存続した。セネカは〈すべて死すべき者がなせし事は死すべき運命にある〉と述べて自らの時代を人間の老年にたとえ,2世紀の歴史家フロルスはカルタゴ炎上からグラックス兄弟の改革までの時期にローマ国家の変容を認めた。 他方,ユダヤ教や原始キリスト教はローマの支配を断罪し,ローマ帝国を《ダニエル書》のいう滅ぶべき第四の帝国とみなした。…
※「セネカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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