翻訳|Pythagoras
古代ギリシアの自然学者、数学者、宗教家。エーゲ海のサモス島の生まれ。出身については諸説あるが、青年期、エジプトを訪れたといわれる。帰国後サモス島の僭主(せんしゅ)ポリュクラテスPolykratesと折り合いが悪く、南イタリアのギリシアの植民市クロトンに移住、この地で活躍してのち、メタポンツムに移り、没した。
クロトンにおいて、当時流行したオルフェウス教の流れをくむ一つの教団を組織した。その教義は、魂の不滅、輪廻(りんね)、死後の応報にあり、魂の浄化、救済を重視し、団員はピタゴラスを頂点に緊密に団結し、内部にあってはさまざまな戒律の下に禁欲的、厳格な生活を送り、きわめて排他的であった。また財産の共有を原則とし、それを教団内の学問研究の結果にも適用したため、ピタゴラスの業績と門弟の業績とを区別することは、すでにアリストテレスのころには困難となった。
ピタゴラスおよびその学派は、音楽、数学、天文学、医学を研究し、そのなかには科学史に残る業績も少なくないが、彼らにとっての研究の本来は教義を追究するための補助的なものであった。そうした彼らの研究であったがために、とくに評価の高い数学の研究にさえも、合理性のなかにときとして神秘性が混在している。たとえば、奇数は男性、偶数は女性とみなし、男性数3と女性数2の和である5は結婚を象徴する数としたたぐいである。
ピタゴラスは、当時のギリシアの自然学者が探究した万物の根源を「数」だとした。その背景には、たとえば音楽において、和音が一絃琴(いちげんきん)の場合、絃の長さが簡単な数比例をなすこと、またものの形は点(すなわち1の正数)をいくつか組み合わせるとできあがること、などの発見があったと考えられる。事実、彼または彼の学派は、音楽理論の研究から三つの数a、b、cが、
a-b=b-cを満足すれば、a、b、cは等差数列である、
a:b=b:cを満足すれば、a、b、cは等比数列である、
(a-b):(b-c)=a:cを満足すれば、a、b、cは調和数列である、
ということを知っていた。
また、点の配置から、三角形数(自然数の数列の和、1+2+3+……+n=n(n+1)/2になる)、長方形数(2から始まる偶数の数列の和、2+4+6+……+2n=n(n+1)になる)や、さらに、五角形数(公差が3の4+7+10+……の級数)、六角形数(公差が4の5+9+13+……の級数)などを考え出した。完全数(その数の1を含むすべての因数の和が、その数に等しいもの)や友愛数(2数のそれぞれが、他の数のすべての因数の和になるもの)として284(=1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110)と220(=1+2+4+71+142)の一対を発見している。また1点の周りをびっしりと埋め尽くす正多角形は、正三角形、正方形、正六角形であることを知り、正多面体については正四面体、正六面体、正十二面体の三つとも、さらに正八面体と正二十面体とを加えて五つを知っていた、ともいわれる。
有名な「ピタゴラスの定理」(直角三角形の斜辺の平方は他の2辺のそれぞれの平方の和に等しい)は、ピタゴラス自身か、その門人かの発見であるが、その厳密な証明は、後のユークリッドがしたものである。ところがピタゴラスの定理の発見は、この学派に難問をもたらした。それは正方形の1辺とその対角線との関係が 1: という、正数だけを数とみなすこの学派では認めがたいものをみつけたことで、さらにこういった数は、正五角形の作図の際に使う中外比(黄金分割)の場合にも現れた。そこで彼らは、こうした「口にできない数」を無理数alogosとよび、この秘密を学派外に口外しないようにしたという。
ピタゴラス(学派)の宇宙像は、門人フィロラオスの著作にうかがえる。彼らは従来の大地の平板説をとらず球状説を採用し、天動説ではなく変則的な地動説を唱えた。彼らは10が完全数(1+2+3+4)であり、和音の比の数でもあり、神聖な数とみなしたが、天体の数についても、恒星球、五つの惑星球(土星、木星、火星、水星、金星)、太陽、月、地球と、対地球という天体を導入して10個とした。この10個は宇宙の中心にあって宇宙の活動を管理し、地球に生命を与え、一種の創造力をもつ存在の「中心火」の周りを回っている。中心火が地球から見えないのは、地球の半球面だけに人間が住み、その半球面はつねに中心火には向かないように回転している(地球の自転はない)からである。太陽はガラス状で、中心火を反射して地球に光と熱を伝え、月は太陽の光を受けて輝く。また天体の動きは巨大な和音を生じているが、人間は生まれて以来聞き続けているので、その和音は聞こえない、とした。この宇宙像は多くの弱点をはらんでいたが、地球が宇宙の中心の周りを惑星と同様に運行すること、地球を含むすべての天体が球形だとしたこと、惑星と恒星を区別したことなど、後世に少なからず影響を与えた。
[平田 寛]
『T・ヒース著、平田寛訳『ギリシア数学史』(1959/復刻版・1998・共立出版)』▽『平田寛著『科学の起原』(1974・岩波書店)』
前6世紀に活躍したギリシアの哲学者。ギリシア語で正しくはピュタゴラス。生没年不詳。サモスの商人ムネサルコスが,妻を伴ってデルフォイのアポロン神殿(ピュティア)に参詣したとき授かった子なので,〈アポロンの代弁者〉という意味でピタゴラスと名づけられたという。若いころサモスでイオニア哲学を修め,親友のポリュクラテスとともに政治改革に乗り出した。この試みは成功を収めるが,ポリュクラテスがしだいに独裁者となっていくのを批判し,故国を出奔した。30歳前後のころと思われる。その後30年間,世界各地に密儀伝授を求めて遍歴し,エジプト,ペルシア,中央アジア,ガリア,インドと足跡の及ばぬ所はなく,当時のありとあらゆる学問を身につけたと伝えられ,その博学多識は多くの古代作家に驚嘆されている。60歳前後,南イタリアのクロトンに居を定め,そこに密儀の学校としてピタゴラス教団を創立した。この教団はたちまち隆盛を極め,その影響下でクロトンは南イタリアの覇権を握った。90歳のころ,教団と世俗権力の確執が激しくなり,過酷な弾圧を蒙るようになった。彼はメタポンティオンに追放され,そこで没した。死後も弾圧は続けられ,教団は各地に散らばり,やがて秘密結社化した。
ピタゴラス教団ではいっさいの教説がピタゴラスのものとされた。彼は絶対的権威をもった教祖であった。ここでは男女は平等に扱われ,〈ピタゴラス的生活〉を送るように指導された。清浄を保ち,肉食を断ち,沈黙の中で自己の魂を見つめる修行が課された。ピタゴラスによれば,魂は元来,不死すなわち神的な存在であるが,無知ゆえにみずからを汚し,その罪をつぐなうために肉体という墓に埋葬されている。われわれが生と呼んでいる地上の生活は,実は魂の死にほかならず,その死から復活し,再び神的本性を回復することが人生の目的である。それに失敗して無知な人生を繰り返すと,輪廻転生の輪から永久に脱け出せない。この苦しみから解放されるには魂は知恵(ソフィア)を求め,それによって本来の純粋存在に立ち帰らなければならない。〈知恵の探求(フィロソフィア)〉こそ,解脱(げだつ)のための最も有力な方法なのである。
この教団には宗教的解脱を求める聴聞生と学問的研究に打ち込む学問生の2派があったといわれているが,ここでは学問は宗教的解脱と不即不離の関係にあるので,この2派は顕教と密教,または新参者と熟達者の区別と考えた方がよいだろう。知恵に達するための準備的課程として,四つの学問(マテマタ)があった。第1に〈数の学〉,第2に〈形の学〉,第3に〈星の学〉,第4に〈調和の学〉である。この四学は後に,中世からルネサンスに至るまでヨーロッパの学問の中枢をなしていたが,近代的意味での数学,幾何学,天文学,和声学とは現象的にはともかく,本質的には異なることに注意しなければならない。それは古代的な〈数〉の観念に基づいた一種の瞑想体系であった。
1は最初の自然数あるいは単位数であるだけではなく,始原,全体,究極,完全を意味した。同様に2は2個の単位数ではなく,対立,分裂,闘争,無限を,3は調和,美,秩序,神性を,4は事物,現実,配分,正義などを意味する。数は量ではなく,存在の元型的形相だったのである。〈万物の原理は数である〉と彼がいうとき,世界は量的関数関係から成り立つ数学的秩序をもっているといったのではなく,万物は数の存在分節機能によって秩序立てられ,存在の各層には同一の数の類比関係が働いているということを意味した。このことを象徴的に表しているのが次に示すような〈四元数(テトラクテュス)〉である。この1,2,3,4から成る10個の点は,大宇宙と小宇宙に共通する世界秩序(コスモス)を表す曼荼羅(まんだら)となっており,ピタゴラス教団ではこの図形の前で誓いを立てたと伝えられている。
このような〈数〉の重視は,数学史上において,ピタゴラスあるいはピタゴラス学派に帰せられる多くの業績を生むことになる。三平方の定理(ピタゴラスの定理),ピタゴラス数,無理数の発見などのほか,数論と結びついた音階理論が特に有名であるが,近年は古代メソポタミアの数学の影響も注目されており,その独創性についての評価は定めがたい。
数を万物の原理とみなすピタゴラス主義は,以降のヨーロッパ思想史,科学史に決定的な影響を与えた。エンペドクレスの四大論,デモクリトスの原子論,ソクラテス,プラトンの哲学もその圏内にある。地動説の最初の提唱者とされるフィロラオス,立方体の倍積問題の解決で有名なアルキュタスらはピタゴラスの学徒であった。前1世紀にはローマとアレクサンドリアで新ピタゴラス主義が興り,宗教的伝統に数学的な光を当てた。テュアナのアポロニオスはこの代表であり,イアンブリコスにも新ピタゴラス学派との結びつきが認められる。さらに近代を開く象徴的事件であったコペルニクスの宇宙論やケプラーの宇宙モデルも,ピタゴラス学派の思想がヒントになっている。自然を数学的に記述しようとする近代自然科学の方法論は,少なくともその重要な一部分を16~17世紀のピタゴラス復興運動によって支えられている。ルネサンスとはある意味で,プラトンと並んでピタゴラスの再生運動であったともいえ,当時の音楽,絵画,建築,文芸などにもピタゴラス的宇宙論の反映を指摘することができる。
執筆者:大沼 忠弘
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…古代ギリシアにおいて,神話的な世界創成はヘシオドスの《神統記》までさかのぼることができるが,そこでは,すべてに先立ってカオスが設定されており,その生成は不問のままである。
【コスモスの発想】
カオスに対して,この世界を秩序正しい構成をもつものとしてとらえ,それをカオスなる原初形態から何らかの原理に基づいて編成されたとする考え方は,すでにヘシオドスにもあって,一種の宇宙開闢(かいびやく)説として,エロスを中心とする神話の世界もそこに重なるが,コスモスという語を意図的に用いて,宇宙全体の秩序ある様態を表現しようとしたのはピタゴラスが最初であるといわれる。 もちろん,このような考え方の背景には,バビロニアに発する天文学的な知識の伝承があり,天体の運行,季節変化など天象,気象に見られる秩序正しさへの認識が必須であったには違いないが,ピタゴラス,もしくは彼によって代表される当時のギリシアの一つの典型的な世界観,すなわち〈すべては数である〉という表現が象徴するような世界観を前提としていたことを見のがすべきではない。…
…輪廻(りんね)転生をはっきりこの教派の教義に帰している文献はないが,当然それが前提となっているように思われる。オルフェウス教はその点でピタゴラス学派とたいへん近く,両者はほぼ同じアルカイック時代に台頭し,相互に影響し合い,ときに区別がつけられなくなっていたように思われる。ただプラトン,テオフラストスなどがもっぱら軽蔑的にのみこの教派に言及しているところから判断すれば,古典時代には秘教の全般的な退潮とこの派の一部のいかがわしい売僧の横行などのために,いわばピタゴラス学派の民衆版として社会の片隅に沈滞し,古代末期の危機的状況下に再び浮上し,とりわけ新プラトン主義者などによりプラトン形而上学の先駆的思想として高く評価されるようになったものと思われる。…
…
[ギリシアの幾何学]
幾何学の語源が示すように,幾何学は測量術から発達した。すなわち,古代エジプトでは,ナイル川のはんらんによって壊れた土地の境界を再現するために測量術が発達し,これによって図形に関する知識が集積されたが,これらはミレトスのタレスやピタゴラスらによってギリシアにもたらされ,合理的に研究されて幾何学に発達した。タレスは三角形が2角とそれらのはさむ辺によって定まることを利用して間接測量することを知っており,三平方の定理を証明したと伝えられるピタゴラス学派では,図形に関する知識を証明によって基礎づけることを行った。…
…ヘレニズム期には実際の音楽活動よりもむしろ理論的考察の方が盛んとなり,音楽理論家が後世に残るいくつかの理論書を著している。 音楽理論家については,その始祖として前6世紀のピタゴラスをあげねばならない。後代の伝承ではピタゴラスは協和音の数比を発見したとされ,さらに前5世紀のフィロラオスや前4世紀のアルキュタスなどピタゴラス派の理論家は諸音を数比によって基礎づける理論を伝えている。…
…しかしこうした自然学の系譜のほかに,もう一人重要な人物がいる。それはサモスに生まれ,イタリアのクロトンで活躍したピタゴラスである。彼は〈水〉や〈空気〉や〈原子〉のような素材ではなく,そうした素材を秩序づける〈数〉を重視したが,とくに音楽における〈調和音程〉の発見に基づいてこの世界における数学的秩序の普遍的存在を確信し,ギリシアに特有な数学的自然観を樹立し,後世に大きな影響を与えた。…
… コスモスという語を上記の秩序ある世界の意味で用いた最古の文献として知られているのは,紀元前5世紀の前半に活躍したヘラクレイトスの断片である。だが文献としてはなんら伝えられていないが,古代の信頼しうる伝承によれば,その1世代前のピタゴラスの思想にすでにその先例があったといわれる。実際ピタゴラスの世界像はまさにコスモスとしての性格を十分に備えたものであった。…
…宗教,思想上の信条に基づいて信奉されることが多く,現にインドでは多くのヒンドゥー教徒がこれを順守している。西洋では古代ギリシアで発祥し,前6世紀にピタゴラスがまずこれを唱えた。それは神祭における動物の供犠に対する倫理的批判に発したもので,この思想はソクラテスにひきつがれ,プラトンにいたって倫理的な理由とともに健康長寿の法としての菜食主義が説かれるようになった。…
…年代,場所から見て,同じ土地の学者ヘカタイオスの作品であった可能性が大きい。 大地球体説の最初の提唱者は前6世紀のピタゴラスで,彼は神の創造物である大地は幾何学的に完全な形,すなわち球であらねばならないと考えた。この説は,その2世紀後アリストテレスが月食の際の大地の陰影などをもって証拠立ててから,しだいに信奉されるようになった。…
…その後比喩的に転用されて,一致,協力,和合などの意味を持つようになった。この言葉に哲学的な意義が付与されるようになったのは,音楽の生み出す魔術的な効能にひきつけられ,音楽的調和の観点から宇宙論を展開したピタゴラス学派によるところが大きい。彼らによれば,恒星天や諸惑星はそれぞれ固有の周期で世界の中心のまわりを回転するが,その際これらの星はおのおの回転速度に対応する音を奏で,これらの音は全体として霊妙な楽音をかもし出すとされた。…
…そして円柱直径の1/2を1モデュールと呼び,各部寸法をすべてこれの倍数値で表す方式が,いわゆる〈オーダー〉の体系の根幹となっていた。古典建築の最初の理論家,古代ローマのウィトルウィウスは,こうした比例の体系こそが建築を科学たらしめるものであると信じていたが,同時に,ピタゴラスやプラトンを引用しながら,6という数の神秘性を強調しており,比例の観念と神秘主義,象徴主義との結びつきの深さをおもわせる。 中世には古代ギリシアの美的,功利的な比例観は薄れ,代わってキリスト教的な象徴主義が主流となり,三位一体を表す3や十二使徒を表す12などの数値を用いた単純な倍数系列が多く見られた。…
…【飯島 吉晴】
[ヨーロッパ]
香りの強い花を咲かせる他の植物と同様に豆は,古代から死者や亡霊と結びつけられた。ピタゴラスは豆に祖先の霊が宿っていると信じ,けっして食べようとしなかったといわれ,魔術を用いたかどで命をねらわれたときにも豆畑を横断して逃げることをためらったため,捕らえられて死んだとも伝えられる。またギリシアでは,犠牲の獣を選ぶのに黒い豆を引く籤(くじ)を用い,また役人選挙においても賛成者は白,反対者は黒い豆を投じたという。…
※「ピタゴラス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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