デジタル大辞泉
「タルティーニ」の意味・読み・例文・類語
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タルティーニ
- ( Giuseppe Tartini ジュゼッペ━ ) イタリアのバイオリニスト、作曲家。近代奏法の基礎になる運弓法を創始し、楽器の改良にも意を用いた。技巧的なバイオリン曲を多く書き、「悪魔のトリル」でも有名。(一六九二‐一七七〇)
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タルティーニ
Giuseppe Tartini
生没年:1692-1770
イタリアのバイオリン奏者,作曲家。パドバ,プラハ等で奏者として活躍する一方,奏法の研究に励み,理論的にも裏打ちされた技巧的で華々しい奏法を生みだした。1728年パドバにバイオリンの専門学校を設立し,弟子の育成に努めるかたわら作曲もした。約150曲の協奏曲と約100曲のソナタのほかに交響曲,宗教合唱曲,室内楽曲等がある。代表作にバイオリン・ソナタ《悪魔のトリル》,同《捨てられたディドーネ》がある。バイオリン奏法,装飾音,音響学に関する論文もある。
執筆者:岸本 宏子
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「タルティーニ」の意味・わかりやすい解説
タルティーニ
イタリアのバイオリン奏者,作曲家。トリエステ近郊のピラーノに生まれる。パドバ,プラハなどで演奏家として活躍する一方でバイオリン奏法の改良に打ち込み,音響学の研究を土台に装飾性の強い華やかな奏法を生みだした。ことに運弓(ボーイング)技術にすぐれ,1728年パドバに設立したバイオリンの専門学校からは多くの逸材が輩出した。約150曲の協奏曲と約100曲のソナタ,宗教音楽などがあり,中でも《悪魔のトリル》《捨てられたディドーネ》のタイトルをもつ2つのバイオリン・ソナタは広く知られる。《和声論》(1754年)などの理論書も残した。
→関連項目バイオリン
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タルティーニ
たるてぃーに
Giuseppe Tartini
(1692―1770)
18世紀イタリア最大のバイオリン奏者。伝説的な名人芸をうかがわせるバイオリン・ソナタ『悪魔のトリル』の作曲で広く知られている。4月8日ピラノ生まれ。聖職者となることを定められたが、パドバ大学で法律を学び、ひそかに結婚したため同地を逃れ、1710~14年アッシジ修道院に身を寄せ、バイオリン理論を確立。21年からパドバの聖アントニオ教会第二バイオリン奏者を務め、70年2月26日、同地で世を去った。作品は150曲の協奏曲、100曲のソナタがある。重音奏法を開発したほか、近代的運弓法を確立。ナルディーニ、プニャーニ、グラウン、マンフレディーニらの有名な弟子を育てた。
[樋口隆一]
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タルティーニ
Tartini, Giuseppe
[生]1692.4.8. ピラノ
[没]1770.2.26. パドバ
イタリアのバイオリニスト,作曲家。 1709年からパドバの大学で神学と文学を学んだ。 21年からパドバのサン・アントニオ礼拝堂の第1バイオリニストに就任。 23~26年プラハでキンスキー公の宮廷オーケストラの指揮者をつとめた。 28年パドバでバイオリンと作曲の学校を創設。バイオリン重音奏法に関して差音を発見,新しい運弓技巧を確立し,バイオリン奏法に関するすぐれた論文がある。作品は,『悪魔のトリル』をはじめ,バイオリン・コンチェルト,シンフォニー,ソロ・ソナタ,トリオ・ソナタなど。
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世界大百科事典(旧版)内のタルティーニの言及
【バイオリン】より
…他方,高度の技巧の追求も行われ,バイオリンの多声的な可能性の極限を示したJ.S.バッハの《無伴奏ソナタとパルティータ》(1720)や,《24のカプリッチョ》を含む[ロカテリ]の《バイオリンの技法》(作品3。1733),[タルティーニ]のソナタ(通称《悪魔のトリル》が有名)などが生み出された。フランスでは[J.M.ルクレール]が,コレリ以来のソナタにフランス宮廷器楽の語法を融合させ,フランスにおけるバイオリン音楽の真の基礎を築いた。…
※「タルティーニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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