翻訳|ornament
旋律を構成する特定の音に,表現力の充実,アクセント付与などの目的で付加された音型をいう。装飾音は,一般には記号や小さい音符で示される特定の装飾音型を意味するが,本来は,そのような定型化したもの以外をも含んだより広範囲にわたる現象である。即興的に音と音との間を自由に埋めていく装飾法は,声楽,器楽を問わず歴史上広く認められ,定型化された装飾音の生まれ出る母体をなすと考えられる。中世ヨーロッパの教会音楽の根幹をなしていたグレゴリオ聖歌の編曲や変奏のほとんどは装飾的意味をもっていた。またグレゴリオ聖歌自身のメリスマ部分も,単純でシラビックな旋律の装飾されたかたちと考えられている。
一般に装飾音は,譜面上に書き記された音楽を現実化する演奏行為と深くかかわっている。バロック音楽において,装飾音はしばしば演奏者の即興や演奏上の習慣にゆだねられた。その場合書き記された音楽である楽譜は,実際に鳴り響く音楽の旋律的輪郭や和声的構造などの骨組みを示すにとどまる。楽譜の現実化(演奏)に際しては,そのいわば文法構造と,それによって表される意味を,洗練され,親しみやすく,また説得力をもった語りに変化させる必要がある。装飾音はその場合の重要な手段になった(図1の上段はもとの楽譜,下段は演奏を想定した,おそらく作曲者自身による装飾稿である)。このように装飾音は,音楽の構造や実質的内容とは一応区別される外形を形づくることから,音楽の様式形成に深くかかわり,個人様式,国民様式,時代様式などを特徴づける重要な要素となっている。実際ドイツでは,バロック時代の器楽音楽に付けられた装飾音を,とくに様式や習慣を意味する〈マニールManier〉の名で呼んだ。
装飾音は,言葉の支えをもたず,人声と比較して素材としての音自体の直接的訴えかけに乏しい器楽音楽にとってより重要であり,声楽に比べて頻繁に使用される傾向がある。自由で型にはまらぬ装飾法は,変奏やコラール編曲などに不可欠な技法であり,トッカータをはじめとする即興性を重んじた楽種においても中心的役割を演ずる。その場合装飾音の遊戯性と器楽の名人芸的要素が結びついて華やかな音楽をくり広げることもしばしばである。一方こうした自由な装飾法は,17世紀においていくつかの特定の音型に定型化され,ここに当時〈本質的な装飾音wesentliche Manieren〉と呼ばれた狭義の装飾音が成立することになる。それらはとくにフランスの鍵盤音楽で盛んに用いられ,それらを表示する記号も考え出された。当時の鍵盤音楽の大家,ダングルベールJean Henri d'Anglebert(1628-91),シャンボニエールらは,装飾音記号とその奏法を記した装飾音表を今日に伝えている。このフランス式装飾音アグレマンagrémentsはバロック音楽一般に普及し,J.S.バッハの《平均律クラビーア曲集》の冒頭に掲げた有名な装飾音表にも強い影響を与えている。ただし,バッハもそこで示唆しているように,これらの記号で示される装飾音型は確定的なものではなく,単にその類型を示すだけの場合もあり,また特定の音型を表示するのにいくつかの異なった記号が用いられた例も多い。名称も各国により,また個々の作曲家によって多様である。今日よく知られている装飾音のおもな類型は,ある長さをもった音を細分化して隣接する音との間を振動させる〈トリルtrill〉や〈モルデントmordent〉(図2),音のまわりを旋回して装飾する〈ターンturn〉(図3),前に非和声音を付加して音を強調する〈アッポジアトゥーラappoggiatura〉や〈シュライファーSchleifer〉(図4),およびそれらが複合されたもの(図5)などである。
このように装飾音は,演奏行為と密接に結びつき,またおもに様式カテゴリーに属する音楽的要素であった。しかしとくに古典派以後,楽譜が演奏にとって絶対的なよりどころとなり,楽譜に忠実な演奏への要請が高まっていくにつれて,以前の装飾音は作曲の領域に属する事がらと考えられるようになる。トリルなどの一部の装飾音を除いて略記法は用いられなくなり,音符によって正確に書き記す習慣が定着した。近代音楽の理想は,各部分が構造的に結びついた有機的統一体としての楽曲にあるといえるが,そこにおいて即興的・遊戯的な本来の装飾法が後退していく傾向にあるのは自然のなりゆきであろう。図6では,楽曲構成における実質的要素として主要旋律の形式に参与しているかつての〈ターン〉の装飾音型がみられる。こうした例は,まさに近代音楽の特質を示しているといえよう。
執筆者:高野 茂
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
作曲家や演奏家が旋律を華やかにし、音楽に興趣を添えるために加える特別な細かい音、またはそれらの音の集まりをさす音楽用語。装飾音は時代や地域を問わずさまざまな音楽にみられ、内容も多種多様である。
西洋音楽では、すでにグレゴリオ聖歌に装飾音がみられ、以来中世を通じて音楽の本質にかかわる重要な問題の一つであった。しかし、それは楽譜に記されることがなく、演奏家の即興あるいは演奏慣習に従って自由に奏されていた。16世紀に入ると、鍵盤(けんばん)楽器やリュートの楽曲で装飾音のための略記法が用いられるようになったが、それぞれの記号が何を意味するかについてはまだ混乱を呈していた。のちに装飾音に関する略記法はしだいに標準化されていき、17世紀のフランスの作曲家たちによって、広くヨーロッパを通じて一般化されるに至った。とりわけ、鍵盤楽器の楽曲を作曲していた人々がアグレマンagréments(フランス語で装飾の意)とよんでいた使用法は、その後の装飾音およびその略記法の基礎となった。17、8世紀、装飾音は最盛期を迎え、ほとんどが略記法で示された。19世紀以後も装飾音は用いられたが、その種類は減少し、普通の音譜で記されることが多くなった。
欧米以外の諸民族や日本の音楽では、一般的な特徴として単旋律の性格が強いために、旋律の単調さを避けようとして装飾音が盛んに用いられる。それらの多くは、イントネーションや音色の微妙な変化、ビブラートなどと深い関係をもっている。代表例には、インドネシアのガムラン音楽のように多数の旋律打楽器が、同時に主旋律をさまざまな方法で細分、装飾し、多音的効果を生むもの、イスラム圏の声楽にみられる、のどを使ったヨーデル風のトリルやモルデント、朝鮮の声楽にみられる激しいビブラート、日本の声楽に使用される「こぶし」、三味線や箏(そう)の手にみられる「スリ上ゲ」「ゆりいろ」などの技法がある。
[黒坂俊昭]
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[装飾としての文様]
文様を飾る対象は,人体をはじめ,衣服,器物,家具,その他の工芸品や建築物などにひろくわたるが,その目的としては,第1には,純粋に〈飾る〉ということだけのための快楽的,観賞的な装飾文様がある。物を〈飾る〉とか〈装う〉とかいう言葉は,西洋ではラテン語起源の〈デコレーションdecoration〉あるいは〈オーナメントornament〉などがあるが,それらは人間の生活にとってよけいなものとか,ぜいたくなものと考えられたこともあった。しかし,それは本来,人間のもって生まれた装飾本能に由来するもので,先史時代以来,人類はみずからの生活環境を美化し,人生の喜びを見いだそうとして,あらゆるものに装飾をほどこしてきた。…
※「装飾音」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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