フランスの小説家。パリの下町で運送馬車の御者を父とし、家番を母として生まれる。14歳で初等教育を終え、金物商に徒弟奉公に入ったり、電気技師になったり転々とし、1916年第一次世界大戦に志願兵として出征、20年に復員。その後、画家を志したが成功せず、文筆で身をたてようとし、戦時中の体験をつづった自伝的作品『プチ・ルイ』(1926)を発表、ついで、両親が経営していた安ホテルに出入りする雑多な職業の浮き草のような庶民の姿を描いた小説『北ホテル』Hôtel du Nordを29年に発表し、第1回ポピュリスト賞を受賞、一躍文名をあげた。ジッドやジャン・ゲエノJean Guéhenno(1890―1978)やロジェ・マルタン・デュ・ガールに勇気づけられ、多くの小説や短編『オアジス荘』『島』(ともに1932)、『パリの場末町』(1933)、『死んだばかりの男』(1934)、『緑の地帯』(1935)などを発表した。いずれも自然主義的絶望感の漂う、貧しい人々を主人公とした作品であるが、どれもあまり評判にならなかった。36年ゴーリキーの葬儀に出席するためジッドらと旧ソ連を訪問中、しょうこう熱でセバストポリで客死した。なお『北ホテル』は38年マルセル・カルネが映画化し、多くの観客を集めた。
[稲田三吉]
『岩田豊雄訳『北ホテル』(新潮文庫)』
フランスの小説家。パリに馭者の子として生まれ,下町で育つ。第1次大戦に従軍後画家となったが,27,28歳ころより小説を書きだし,パリの下町の庶民生活を点描した《北ホテル》(1930)で第1回ポピュリスト賞を受賞。これを機にジッド,マルタン・デュ・ガールに激励されて,《オアシス荘またはえせブルジョア》(1932),《島》(1934),《緑の地帯》(1935)など,庶民の哀歓を素直な筆でとらえる情感にみちた独特の作品を発表した。1936年夏ジッドのソビエト旅行に同行したが,猩紅熱にかかりセバストポリで客死した。死後,美術論集《スペイン絵画の巨匠--グレコとベラスケス》(1937),《日記1928-36》(1939)が刊行されている。
執筆者:渡辺 一民
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