チチェーリン(英語表記)Georgii Vasil'evich Chicherin

改訂新版 世界大百科事典 「チチェーリン」の意味・わかりやすい解説

チチェーリン
Georgii Vasil'evich Chicherin
生没年:1872-1936

ソ連邦外交官。タンボフ県の古い貴族の家に,退役外交官を父に,外交官の娘を母にして生まれる。少年時代から社会的矛盾に悩み,ペテルブルグ大学卒業後,隠遁のため外務省文書館に勤務。その後革命運動に接近し,国外でボリシェビキメンシェビキ双方接触ベルリンで逮捕,追放の後,ロンドンでロシア革命を迎える。1918年1月帰国し,すぐブレスト・リトフスクでの交渉に参加。このとき正式に共産党に入党し,病気を理由に退官する30年まで外務人民委員(外務大臣)の要職にあった。在任中は,ドイツおよびアジア諸国との緊密な関係を支えに,反英・反ベルサイユ体制の外交をすすめた。25年から30年まで党中央委員。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「チチェーリン」の解説

チチェーリン
Grigorii Vasil'evich Chicherin

1872~1936

ソ連の政治家1905年ロシア社会民主労働党入党。18年帰国し,外務人民委員となり,ブレスト・リトフスク条約に調印した。ジェノヴァ会議ローザンヌ会議出席ラパロ条約を締結した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報