改訂新版 世界大百科事典 「チブチャ」の意味・わかりやすい解説
チブチャ
Chibcha
先スペイン期の中央アメリカやコロンビア,エクアドル一帯に広く住んでいたチブチャ語系の諸族。語族内部の言語,文化,社会の変異は大きかった。現在でもこの地域には点々とチブチャ語系の少数孤立集団が残っている(パナマのクナ,コスタリカのグアイミ,ニカラグアのラマ,コロンビアのカヤパなど)。狭義には,チブチャは現在のコロンビアの首都ボゴタを中心に形成されていた大規模な首長国の統一体をさす。マグダレナ川上流東の東アンデス(オリエンタル)山脈中の標高1200~3000mの高地一帯を居住地とし,人口30万人を擁していたと推定される。この規模の統一国家は,中央アメリカと中央アンデス地帯を除くと新大陸内では最大のものであった。中央アメリカとアンデスの両高文明からの文化的影響が及んでいたのは明らかで,とくに前者と共通する文化要素が多い。たとえば,市場の発達,貨幣の使用,太陽神への人身供犠などがそうである。
スペイン人侵入当時のチブチャ首長国は集約的な農耕社会の段階にあり,トウモロコシ,ジャガイモ,キヌア,サツマイモ,無毒マニオク,マメ,カボチャなどを栽培していた。また低地森林地帯の諸族との交易も頻繁で,岩塩との交換で熱帯産の果実などを手に入れていた。チブチャ領内でも自然環境の地域的変異が大きく,それに応じた食糧生産,工芸,鉱山資源利用などの地域的特殊化がみられ,領域内での交易・交換も発達した。首長国は五つの領土からなり,それぞれを統轄する首長は大きな権力を有しており,その下に従属する小首長があった。首長・小首長間の勢力関係は安定したものではなく,戦争や侵略が繰り返されていた。社会は階層化が進んでおり,首長や貴族階層は平民からはっきり区別され,平民から織物その他の物納あるいは労役による税を取りたてた。チブチャ首長国は,16世紀のインカ帝国征服の直後にマグダレナ川をさかのぼって黄金郷を求めたヒメネス・デ・ケサダの率いるスペイン人によって滅ぼされた(1536)。スペイン人に対する武力抵抗は強力だったが,勢力均衡の上に成立する連合体のもつ弱点は,それを支えきれなかった。
執筆者:友枝 啓泰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報