改訂新版 世界大百科事典 「唐蕃会盟碑」の意味・わかりやすい解説
唐蕃会盟碑 (とうばんかいめいひ)
Táng fān huì méng bēi
中国の唐朝とチベットとの間に結ばれた和約を刻した碑。宰相僧ペルギ・ユンテンの指導下で821-822年にわたり長安とラサで行われた唐と吐蕃の和盟を記念し,823年に両都と国境に建てられたといわれるが,現存するのはラサの大招寺庭前のもののみ。南面には唐側の会盟に参加した人物の官と名が漢文とチベット訳文と音写とで示され,北面にはチベット側の参加者が同じ形式で示されている。チベットの上層部の構造と当時の在職者の名が確認されるので重要。西面にはチベット文と漢文が掲げられ,清水県以西がチベット支配下にあることなど条約の内容がみえる。東面はチベット文のみで,640年に文成公主がチベットに嫁し,景竜年間(707-709)に金城公主がさらに輿入れして,王妃が唐の外孫をもうけ親戚関係になったが,国境の役人の独走で不幸がしばしば起こった。しかし,先代の王以後和平の歩み寄りがあって今ようやく成就するにいたったと説明されている。語学上も重要な資料である。
執筆者:山口 瑞鳳
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報