ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
チャタレー夫人の恋人
チャタレーふじんのこいびと
Lady Chatterley's Lover
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…英文学者伊藤整が翻訳した《チャタレイ夫人の恋人》(上,下)が刑法175条の猥褻(わいせつ)文書販売罪に問われた事件。第2次大戦前には,同書の英語原版は春本の扱いを受けて関税定率法上の輸入禁止図書とされていたが,戦後には,原作者D.H.ロレンスの文学は高く評価されるようになり,1950年に出版されたこの全訳本は,戦後期の解放的文化の風潮を象徴して広く歓迎された。それだけに,その摘発と起訴(1950年9月)は,憲法の保障した表現の自由を危うくさせる,文芸に対する国家の統制強化として深い関心を引き起こしている。…
… 20世紀に入っても,ビクトリア朝的検閲のある部分はそのままであった。1928年にD.H.ロレンスの《チャタレー夫人の恋人》がイタリアで出版されたとき,イギリスは国内での発売を禁止した。ポルノ産業は20世紀にますます大きくなった。…
…この前年母の死によって虚脱状態に陥ったが,12年大学時代の恩師の妻フリーダと激しい恋におち,彼女の故郷ドイツに駆落ちし,次いでイタリアに赴き,ここできわめて自伝的な,自己耽溺的で正直なエゴイスト,ポール・モレルの成長と恋,恋人と母との三角関係を語った《息子と恋人》(1913)を完成。その後も,当時としては露骨な性描写の目だった三代記《虹》(1915),2組の現代的な男女の葛藤を描いた《恋する女たち》(1920),南アメリカを舞台に一種の男性主義を説いた《翼ある蛇》(1926),《チャタレー夫人の恋人》(1928)などで男女の関係を追求し続けた。このほか,この大意識家が無意識の必要性を説く逆説的なエッセー《無意識の幻想》(1922),死の直前に書かれたきわめてキリスト教的な,しかし表面反キリスト教的生命主義の書《アポカリプス》(1931),同じくきわめてキリスト教的な生命主義の小説《死んだ男》(1931),卓越した洞察に満ちた《アメリカ古典文学研究》(1923)などや,《見よ,われらはやりとげた》(1917),《死の船》(1933)などの優れた詩集がある。…
※「チャタレー夫人の恋人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
チャタレー夫人の恋人の関連キーワード |デビッド・ハーバード ロレンス |パスカル フェラン |チャタレー事件 |小山 久二郎 |ローレンス |好色文学 |コニー |論議 |完本
大リーグの全30球場に高精度カメラやレーダーを設置し、ボールや選手の動きを細かく分析。走攻守全てで、これまで分からなかったデータを解析し、試合やチーム作りに生かせる。例えば投手では、投げる球種の回転数...
4/20 百科事典マイペディアを更新
4/18 デジタル大辞泉を更新
4/18 デジタル大辞泉プラスを更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
8/29 デジタル大辞泉を更新
7/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新