チャーティスト運動(読み)チャーティストうんどう(英語表記)Chartism

翻訳|Chartism

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

チャーティスト運動
チャーティストうんどう
Chartism

1838~58年に労働者階級を主体として展開したイギリスの民衆運動。成人男子の普通選挙権の確立,議員の財産資格規定の撤廃など6項目の議会改革の要求を明示した人民憲章を掲げて運動を推し進めたことからチャーティスト運動と呼ばれる。この運動の目的は,1832年の第1次選挙法改正法で無視され,新救貧法に反発していた労働者の政治的権利を確立し,その社会的・経済的地位を向上させることにあった。 37年ロンドン労働者協会の W.ラベットらが6項目の要求を決定,38年5月それを人民憲章として発表。北部工業地帯の労働者を代表する F.オコンナーらの動きと結合,39年2月総会を開催。5月人民憲章立法化を求める請願を提出,要求が拒否されたためゼネストを企てたが失敗し,弾圧を受けた。運動方針をめぐって内部に理性派と暴力派の対立が生じ,後者に属するオコンナーを指導者として,42年 300万人以上の署名請願が行われたが,6項目要求は再び拒否された。その後 48年に運動は最後の高揚をみせ,議会に対して3度目の請願が出されたが拒否され,大衆示威行動も失敗に終った。以後 10年 E.ジョーンズらのもとで運動は思想的に展開をみせたが,その政治運動としての重要性はすでに失われ,政府の弾圧と内部分裂のため衰退した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

チャーティスト運動
ちゃーてぃすとうんどう
Chartist Movement

イギリスで1830年代後半から50年代にかけて、労働者階級を中心になされた成年男子の普通選挙権を要求する運動。人民憲章(ピープルズ・チャーターPeople's Charter)を掲げたことからこの名がある。代表的指導者にオコナー、ラベットをはじめ、オブライエンJames Bronterre O'Brien(1805―64)、ハーニーGeorge Julian Harney(1817―97)、ジョーンズErnest Charles Jones(1819―69)などがいる。中心的組織は1840年7月に結成された全国憲章協会で、また『ノーザン・スター』(1837~52)がその機関紙的役割を果たした。[岡本充弘]

背景

1832年の第一次選挙法改正が不十分であったことへの不満、さらには34年の新救貧法への反対、十時間法運動、反新聞印紙税運動などがこの運動の契機となったが、とくに38年5月の人民憲章の刊行を前後として6項目の議会改革の要求を中心に運動の全国的結集がなされた。またこの運動のもう一つの背景となったのは、当時の労働者の生活状況の悪化であったともいわれ、ほぼこの時期の景気の後退に対応して運動にも三度にわたる高揚期が存在している。[岡本充弘]

運動の高揚期

最初の高揚期である1839年には、2月4日からコンベンションといわれる全国大会が開かれ、128万人の署名を集めた国民請願を議会に提出したが、これは下院で235対46で拒否され、失敗に終わった。しかしこの年は5月下旬に全国各地で同時集会という示威行動がなされ、またゼネラル・ストライキの計画とそれをめぐる議論、さらには11月ニューポートで蜂起(ほうき)がなされるなど運動の急進化が進んだ。第二の高揚期である42年には4月12日からコンベンションがふたたび開催され、5月に約332万人の署名を集めた国民請願がなされたが、これも下院で287対49で拒否された。一方この年の8月には、プラグ・プロットとよばれる広範なストライキが工業地帯で賃金削減反対およびチャーターの獲得を目的としてなされたが、このストライキとチャーティストそのものとの関係についてはなお不明な点も多い。40年代の後半に入ると、運動は一時的にオコナーの立案した土地計画(運動の支持者に土地を貸与し、共同村に入植させる計画)に向かったが、景気の悪化とヨーロッパの革命運動の影響を受けて、運動は48年に三度目の高揚期を迎えた。しかし4月4日から開かれたコンベンションによって提出された第三次国民請願は、570万を超えたとするチャーティスト側の主張にもかかわらず、議会の調査によってその実数は200万に満たないものとして無視され、またチャーティストの側が総力を結集した4月10日のケニントン・コモンの大示威行動も当局の周到な準備により失敗に終わり、運動はしだいに衰退した。[岡本充弘]

運動の衰退

またこのころから、オコナーにかわってハーニー、ジョーンズらの左派的(社会主義的)な指導者が台頭、1851年4月には彼らが中心となり新綱領が採択され、52年5月にはジョーンズによって『ピープルズ・ペーパー』(~1858)が刊行され、運動の再編が試みられたが、結局運動の衰退を食い止めることはできなかった、とされている。[岡本充弘]
『古賀秀男著『チャーティスト運動の研究』(1975・ミネルヴァ書房) ▽古賀秀男著『チャーティスト運動』(1980・教育社) ▽飯田鼎著『イギリス労働運動の生成』(1958・御茶の水書房) ▽都築忠七編『資料イギリス初期社会主義』(1975・平凡社)』

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