ツェルメロ(その他表記)Zermelo, Ernst Friedrich Ferdinand

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツェルメロ」の意味・わかりやすい解説

ツェルメロ
Zermelo, Ernst Friedrich Ferdinand

[生]1871.7.27. ベルリン
[没]1953.5.21. フライブルク
ドイツ数学者。ベルリンのギムナジウム卒業後,ベルリン,ハレ,フライブルクの大学で,数学物理哲学を学ぶ。 1894年,変分法の研究によって学位を取る (ベルリン大学) 。その後ゲッティンゲンに行き,ゲッティンゲン大学私講師 (1899) ,同大学教授 (1905) になる。ツェルメロの名を不朽にしたのは,1904年,『数学年報』誌に発表されたわずか3ページ足らずの論文整列可能定理』である。この証明のなかで,彼は「ツェルメロの公理」と呼ばれる,いわゆる選択公理を使い,この公理の是非は 20世紀の数学基礎論の大きな問題になった。 08年,もう1つの大きな業績である『集合論の基礎に関する研究』を『数学年報』誌に発表。これは公理に基づいて集合論を展開することによって,集合論の逆理を排除することと,選択公理の合理性を明らかにすることを目的としており,それによって「ツェルメロの集合論 (集合論Z) 」が確立された。 10年チューリヒ大学教授になるが,健康を害して 16年辞任。 26年までシュワルツワルト静養。 26年フライブルク大学教授。 35年ヒトラーの政治を不満として大学を退き,第2次世界大戦後 (46) 復職した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ツェルメロ」の意味・わかりやすい解説

ツェルメロ
つぇるめろ
Ernst Friedrich Ferdinand Zermelo
(1871―1953)

ドイツの数学者。ベルリン生まれ。1894年ベルリン大学を卒業。1906年ゲッティンゲン大学、1910年チューリヒ大学、1926年フライブルク大学の教授となり、フライブルクで死去。彼の主要な業績は集合論に関するものである。1904年、ツェルメロは、集合論の「整列定理」を証明、この証明に用いられた「互いに共通部分をもたない無限個の空でない集合があれば、そのいずれの集合ともただ一つの要素を共有する集合が存在する」という事実(「ツェルメロの選択公理」という)が多くの数学者の議論の対象となったが、選択公理の有用性は大きく、その評価は定まったとみられる。このほか、集合論の公理的構成にも大きな業績を残し(1908)、「ある集合の要素のうち、与えられた条件を満たすものの全体は、また一つの集合をつくる」という集合論の基本的性質は、「ツェルメロの分出公理」とよばれている。

[内田 謙]

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改訂新版 世界大百科事典 「ツェルメロ」の意味・わかりやすい解説

ツェルメロ
Ernst Friedrich Ferdinand Zermelo
生没年:1871-1953

ドイツの数学者。ベルリン,ハレ,フライブルク各大学で数学,物理学,哲学を学び,1894年ベルリン大学で学位を得た。1906年ゲッティンゲン大学,10年チューリヒ大学,26年フライブルク大学教授。35年ナチス体制に抗議して辞職,46年復帰した。1904年集合論に選択公理を導入して整列定理を証明し,08年集合論の公理を挙げ,公理的集合論の基礎を築いた。
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世界大百科事典(旧版)内のツェルメロの言及

【連続体問題】より

…カントル以降カントルの素朴な集合論を公理を使って再構成する公理的集合論が展開され,連続体仮説の正否をめぐって研究が続けられた。1940年,K.ゲーデルはツェルメロE.F.F.Zermelo(1871‐1953)とフレンケルA.A.Fraenkel(1891‐ )によって提出された集合論の公理系がその内部に矛盾を含んでいなければ,この公理系(ZF公理系)に連続体仮説と選択公理をつけ加えたものも内部に矛盾を含まないことを示した。さらに63年,コーエンP.J.Cohen(1934‐ )は,ZF公理系と連続体仮説と選択公理は独立であることを示した。…

【数学】より

…実数論は,彼らによって自然数論に帰着されたが,デデキントやG.ペアノは,集合と写像の考えを用いて自然数論を公理的に構成した。集合一般はカントルによって初めて考察の対象とされたが,それをあまり素朴に扱うと逆理が生じて矛盾の起こることが示され,E.ツェルメロやA.フレンケルはそれを避けるような公理を設け,それに基づいて集合論を展開した。 1900年パリで開かれた国際数学者会議で,ヒルベルトは今世紀の研究の対象となるべき23の数学の問題を挙げたが,その一つは算術(すなわち自然数論)の無矛盾を示すことであった。…

【統計力学】より

…この新方法もまた1900年にM.プランクが取り上げるまでは気体運動論者たちから無視され,議論されたのは依然としてH定理であった。 プランクの助手E.ツェルメロは,有界な力学系は有限時間内に出発状態の近傍へ必ず戻るというポアンカレの再帰定理に基づいて,一方向に進行する不可逆過程は不可能であり,最大確率状態へ向かう変化が起こるというH定理の新解釈を否定した(1896)。これを再帰性の背理と呼ぶ。…

【連続体問題】より

…カントル以降カントルの素朴な集合論を公理を使って再構成する公理的集合論が展開され,連続体仮説の正否をめぐって研究が続けられた。1940年,K.ゲーデルはツェルメロE.F.F.Zermelo(1871‐1953)とフレンケルA.A.Fraenkel(1891‐ )によって提出された集合論の公理系がその内部に矛盾を含んでいなければ,この公理系(ZF公理系)に連続体仮説と選択公理をつけ加えたものも内部に矛盾を含まないことを示した。さらに63年,コーエンP.J.Cohen(1934‐ )は,ZF公理系と連続体仮説と選択公理は独立であることを示した。…

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