スペイン北東部,アラゴン地方の同名県の県都。人口2万8272(1989)。トゥリア川左岸にある交通の要所で,ケルト・イベリア族が建設したといわれる。当時はトゥルバの名で呼ばれていた。8世紀にイスラム教徒に占領されたが,1171年アラゴン王国の支配下に入った。その後も多数のイスラム教徒が居住しつづけたため,ムデーハル様式の建築物が多い。ティルソ・デ・モリーナ,モンタルボ,ボッカッチョなどの作品で知られる《テルエルの恋人》の墓がサン・ペドロ教会にある。スペイン独立戦争(1808-13)では,半島北東部の反抗拠点となり,さらにスペイン内戦(1936-39)では,1937年末から翌年春にかけ,一進一退の攻防が繰り広げられた。結局フランコの率いる国民戦線軍がこの町を掌中にし,地中海岸に達して共和国軍を二分し,内戦の勝敗を左右する結果となった。
執筆者:フアン・ソペーニャ
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スペイン中東部、アラゴン地方テルエル県の県都。人口3万1158(2001)。イベリカ山脈の東部、グアダラビアル川(トゥリア川上流の名称)の流れる盆地の標高915メートルに位置する。イベリア人の町トゥルバTurbaを起源とする古い町であるが、ローマ人により破壊され、8世紀にイスラム教徒が占領し再建された。1171年アラゴン王国の支配下に入るがその後も多くのイスラム教徒が居住し、イスラムの建築(ムデーハル様式)がみられる。中世にはユダヤ人も多く住んでいたが追放された(1486)。スペイン内戦中の1937年12月~38年2月に戦場となり歴史的建築物が破壊されたが、大聖堂やサン・マルタン寺院が残る。
[田辺 裕・滝沢由美子]
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…一方,共和国政府軍は国民戦線の背後をついて勢力を分散させる目的で,マドリード周辺(1937年7月のブルネテの戦)とアラゴン戦線(10月21日のベルチテの戦)で反撃に出たが,すべてむだに帰した。
[南北に分断された共和国]
37年12月に共和国政府軍が奪回したアラゴン県テルエル市の攻防では,吹雪の中を両陣営とも精鋭部隊を繰り出し,動員兵数は双方合わせて10万人以上にも及んだ。また,砲火器,タンク,飛行機など兵器の面でも,まさに総力を結集した戦いとなった。…
※「テルエル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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