デュ・ボイス(英語表記)Du Bois, William Edward Burghardt

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

デュ・ボイス
Du Bois, William Edward Burghardt

[生]1868.2.23. アメリカ,マサチューセッツ,グレートバリントン
[没]1963.8.27. ガーナ,アクラ
アメリカの社会学者,編集者,混血の黒人運動指導者。 1896年ハーバード大学で学位を取り,1910年までアトランタ大学教授 (経済学,歴史学) 。 03年『黒人の魂』 The Souls of Black Folkを発表,教育の普及による地位向上を唱えた B.T.ワシントンの穏和な路線に反対する黒人知識人の支持を得た。 05年ナイアガラ運動を起し,09年全国有色人種向上協会 NAACPの創設に参加,10~32年機関紙『クライシス』を編集した。 1900年 H.シルベスター=ウィリアムズらとともにロンドンで最初の汎アフリカ会議を開いてアフリカ植民地の解放を訴え,さらに 19,21,23,27年と4度の汎アフリカ会議を主催し,汎アフリカ主義の父と呼ばれた。 45年の第5回会議では議長をつとめ,それまで主として欧米黒人の指導下にあった汎アフリカ主義運動を,K.エンクルマなどアフリカの民族主義者の手に引継がせる役割を果した。 40年代頃から親ソ的傾向を強め,59年レーニン平和賞を受賞,61年共産党に入った。 61年ガーナに招かれ,首都アクラでガーナ政府後援の百科事典の編纂にあたり,死去直前ガーナ市民権を得た。

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デュ・ボイス

米国の黒人運動指導者。マサチューセッツ州グレート・バリングトンに生まれ,ハーバード大学卒業後,ベルリン大学に留学。ペンシルベニア大学やアトランタ大学で教鞭をとった。1905年〈ナイアガラ運動〉を組織,1909年には全米黒人地位向上協会(NAACP)の設立に参加し,黒人の解放と権利の獲得に貢献した。1900年以後パン・アフリカ会議の開催に尽力し,パン・アフリカニズムを推進した。1961年共産党入党。同年ガーナに移り,その地で没した。主著《黒人のたましい》(1903年)。
→関連項目公民権運動全米黒人地位向上協会

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