イタリアの政治家。キリスト教民主党(DC)を創設し,1945-53年首相を務め,戦後のイタリア政治の方向を決定した。オーストリア・ハンガリー二重帝国治下のトレンティノに生まれ,ウィーン大学で学んだのち,カトリック社会運動に参加,1911年にはトレント人民党より帝国議会に選出された。第1次大戦後トレンティノがイタリアに併合されるとストゥルツォの率いるイタリア人民党に入党し,21年下院議員に当選,党議員団長となった。ファシズムには当初反対していたが,22年のローマ進軍以後は人民党のムッソリーニ内閣への入閣を推進した。しかし24年党書記長となるにおよんで親ファッショの姿勢は消え,マッテオッティ暗殺事件以降は活発な反ファシズム活動を展開し,教皇庁の反対で実現しなかったものの,トゥラーティらの統一社会党との連立を提起するまでになった。26年ファシストの独裁完成後は公職を退いたが,彼らの執拗な追及を受け,翌27年密出国容疑で逮捕,投獄された。釈放後29年よりバチカン図書館職員となり,教皇庁の庇護下にファシスト体制崩壊までの日々を過ごした。
42年イタリア軍の敗色が濃くなると,ひそかに旧人民党員や反ファシスト・カトリック・グループとの接触を開始し,翌43年にはその中から生まれたDCの事実上の党首となった。ファシスト体制崩壊後の44年,第1次ボノーミ内閣に入閣,45年には社共両党の入閣する6党連立内閣の首相となり,史上初のカトリック政権が誕生した。46年の体制選択の国民投票でもバチカンの意にそむいて共和制を支持し,社共との協力を維持した。しかし47年の訪米以後は西側陣営への参加を明確にするとともに,3党協力体制にも終止符を打った。
DCは48年総選挙で単独過半数を獲得,以来デ・ガスペリは53年まで連続4期政権を担当した。彼は政治面では自由,共和両党との中道連立を採択し,経済面ではL.エイナウディの均衡財政論を採択したが,1950年の農地改革と南部開発公庫設立以外には積極的な社会改革を行わなかった。そのため社会的緊張が高まるとともに左右対立も激化し,DC票は右翼から侵食され始めた。53年事態打開のため彼は過半数票を得た政党が全議席の2/3を得るという新選挙法(通称〈ぺてん法〉)を成立させ総選挙に臨んだが失敗,第8次内閣の信任も拒否された。党内でもすでに彼の基盤は失われ,社会党との中道左派連立政権の樹立,経済への強力な国家介入に基づく社会改革,党組織およびその財政基盤の確立を説くファンファーニらの左派に実権は移行していた。こうして54年ファンファーニが書記長となるとまもなく世を去った。
執筆者:村上 信一郎
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イタリアの政治家。オーストリア領だったトレント地方に生まれ、ウィーン大学卒業後カトリック政治運動に入る。1911年オーストリアの代議士になり、トレント地方のイタリア人の権利擁護と同地方のイタリア復帰のために活動。復帰実現後イタリア人民党の一員として下院議員に選ばれた(1921)。ローマ進軍直後ファシズムの立憲化のためにムッソリーニ政府に信任投票、ストゥルツォの辞任以後、党書記長になり、アベンティーノ反対派連合の委員として反ファシズム活動を行う。1926年に逮捕され、反ファシズムのかどで4年の刑を受けたが、16か月の服役ののち釈放された。ファシズム体制下ではバチカン図書館に勤務、研究と著述に没頭し、カトリック政治運動の近代化の必要を確信した。1942年以降、人民党の再建に着手しキリスト教民主党を結成。党を代表して国民解放委員会に参加。ローマ解放後ボノーミ内閣の無任所相、第二次ボノーミ内閣とパルリ内閣の外相を歴任。1945年12月から1953年7月まで8期にわたって首相を務め、戦後のイタリアを西欧陣営に導くとともに、社共との提携を排して中道政治による復興の道を切り開いた。
[重岡保郎]
1881~1954
イタリアの政治家。イレデンティズモ運動に参加し,1911年トレント地区選出議員としてオーストリア議会に所属,未回収のイタリアの祖国復帰を訴えた。21年には同地区からイタリア下院議員に選ばれ,イタリア人民党の議員団長となった。27年ファシズム特別立法にふれて16カ月間投獄された。その後ヴァチカン図書館の司書を務め,43年キリスト教民主党の創立に参加。45~53年続けて首相の地位にあり,この間マーシャル・プラン,北大西洋条約機構(NATO)を支持して,イタリアを西側陣営に組み込むことに成功。アメリカの援助のもとに,戦後のイタリア社会再建の任務を遂行した。
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