ストゥルツォ(読み)すとぅるつぉ(英語表記)Luigi Sturzo

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ストゥルツォ」の意味・わかりやすい解説

ストゥルツォ
すとぅるつぉ
Luigi Sturzo
(1871―1959)

イタリアの政治家、社会学者。1894年以来カルタジローネシチリア)の司祭として地方の政治的教化活動を展開。キリスト教民主主義の週刊誌『コンスタンティヌスの十字架』を発刊(1897)、カトリック諸組合を組織し、カルタジローネの副市長に選ばれた(1905)。ついでカトリック行動委員会の書記(1915~1917)、イタリア自治体連盟の副議長(1912~1924)を歴任。1919年に政治と宗教の分離に基づくカトリック政党であるイタリア人民党創設し、書記長に就任した。ムッソリーニ政権の与党であった人民党が1923年に反ファシズムに転じたのは、おもにストゥルツォ功績であった。同年7月彼はバチカン当局の圧力により辞職し、翌1924年から長期の海外亡命を余儀なくされた(1940年までロンドンに、その後ニューヨーク)。その間、反ファシズム活動に従事するとともに、文化的労作を次々に発表。1946年に帰国すると著述活動を続け、1953年には終身上院議員に選ばれた。

[重岡保郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ストゥルツォ」の意味・わかりやすい解説

ストゥルツォ
Sturzo, Luigi

[生]1871.11.26. シチリア島,カルタジローネ
[没]1959.8.8. ローマ
イタリアのカトリック司祭,社会学者,政治家。 1905~20年生地カルタジローネの町長,12~24年イタリア町村連合協会副会長など,地方政治で活躍したあと,19年イタリアで最初のカトリック政党であるイタリア人民党を創設,書記長となった。ファシズム政権の成立後,教皇庁が人民党支持を撤回したため,24~46年ロンドン,ニューヨークに亡命,この間多数の社会学的著作を発表。第2次世界大戦後帰国し,46年彼の政治運動はキリスト教民主党として復活。 52年終身上院議員に任じられた。

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