ドイツの作家。ユダヤ人の仕立屋の子として、現在のポーランド領シュチェチンに生まれる。10歳のとき、父が愛人とアメリカに逃亡したので家族とともにベルリンに出、精神医学を学んでベルリン東部の貧民街で開業した。早くから表現派の詩人たちと交わり、短編小説『たんぽぽ殺し』(1913)は表現主義の先駆的作品となる。その後18世紀の中国の革命運動を扱った長編『バン・ルーンの三つの跳躍』(1915)、三十年戦争を素材とした『ワレンシュタイン』(1920)などを書き社会主義的信条を表明、社会民主党の立場で政治運動にも加わった。ファシズム前夜のベルリンの下層社会を舞台に、更生を誓って出獄した元トラック運転手の零落の運命を扱った大都市小説『ベルリン・アレクサンダー広場』(1929)は、現代ドイツ文学の最高傑作の一つといわれ、ベストセラーとなり、また映画化もされた。1933年にパリに亡命しフランスの共産主義者らと交流、共産革命とキリスト教の問題をテーマとした『1918年11月』(1940)を書いたあとカトリックに改宗した。第二次世界大戦後は旧西ドイツで文学雑誌『金の門』を出版し文化の復興に献身、また一家族の崩壊を描いた深層心理学的小説『ハムレット――あるいはながき夜は終わりて』(1956)を書いたが認められず、不運のうちに病死した。
[早崎守俊]
『早崎守俊訳『ベルリン・アレクサンダー広場』全2巻(1971・河出書房新社)』▽『早崎守俊訳『ハムレット――あるいはながき夜は終わりて』全2巻(1970・筑摩書房)』
ユダヤ系ドイツ作家。精神科医としてベルリンで開業。1910年に革命的文芸誌《あらし》の創刊に参加,表現主義的な短編小説を発表して新しい文学の旗手となった。中国を舞台とした《ワン・ルンの三つの跳躍》(1915)や歴史小説《ワレンシュタイン》(1920)などのあと,ワイマール文化爛熟期のベルリン下町に生きる犯罪者の運命を描いた社会主義的な都市小説《ベルリン・アレクサンダー広場》(1929)で世界的な名声を得た。ジョイスの《ユリシーズ》のモンタージュや内的告白の技法を大胆にとりいれ,表現主義からダダ,シュルレアリスム,新即物主義にいたるあらゆる言語的冒険を試みたこの作品は,長くベストセラーをつづけ,31年には映画化された。33年ナチスの迫害をのがれフランスに亡命,戦後は一家族の崩壊を描いた深層心理学的小説《ハムレット》を書いたが認められず,南ドイツのサナトリウムで不運と貧困のうちに病死した。
執筆者:早崎 守俊
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