南太平洋,タヒチ島の東方に長さ約1500kmにわたって分布する約80個の環礁からなる諸島。フランス領ポリネシアに属する。総面積約900km2,人口約9000。多くのマラエ(石造の宗教遺跡)があり,考古学上の関心を呼んでいるが,東部に残されたマラエはハワイやタヒチ内陸部との共通性を示し,トンガ諸島やサモア諸島のものとは異なる。1929年アマヌ島でサンゴにおおわれた4門の大砲が発見されたが,オーストラリアの歴史学者ランドンR.Langdonは,これらの大砲を1526年にこの海域で遭難したスペイン快速帆船サン・レスメス号のものと考え,この船の生残りがポリネシア人女性と結婚し,ニュージーランドやイースター島を含むポリネシアの島々に広がって大きな文化的影響を与えたと主張した。1521年のマゼランがトゥアモトゥの最初の〈発見者〉であり,その後もキロス,スハウテン,クックら多くの航海者たちがこの諸島を訪れている。しかし,標高が低い環礁の集まったトゥアモトゥの探索には長い年月が必要であった。太平洋だけの地図としては最初の《太平洋地図》(1823)は,マゼランの航海から300年後のロシア船によるトゥアモトゥ調査の成果をまとめたものであるが,この時点でも10島余りが〈発見〉された。1826年にはイギリス船が調査し,さらに三つの環礁をトゥアモトゥ諸島に加えた。残された島の最後としてタイアロ島とカウエヒ島が〈発見〉されたのは,35年ダーウィンも乗船していたビーグル号によってであった。
44年フランスの保護下に置かれたが,これより先の1802年マーガレット号のキャプテン・バイヤーズは,マケモ島民がシンジュガイをつけているのをみた。シンジュガイ採集地としてトゥアモトゥが注目されるきっかけである。しかしシンジュガイのほかにはコプラを取るココヤシしか資源のないトゥアモトゥでは,1947年にヘイエルダールのコン・ティキ号がラロイア環礁に漂着した以外には,さしたる事件もなかった。2度の世界大戦の影響もここまでは及ばなかった。トゥアモトゥが世界の関心を集めたのは,63年にフランス政府がここのムルロア環礁での核実験開始を宣言してからであった。
執筆者:石川 栄吉+斉藤 尚文
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…南太平洋,フランス領ポリネシアのソシエテ諸島,トゥアモトゥ諸島の宗教遺跡。単なる立石遺跡から壮大な石積みの遺跡までを含み,宗教的儀式を行う聖域であった。…
※「トゥアモトゥ諸島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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