改訂新版 世界大百科事典 「トランセンデンタリズム」の意味・わかりやすい解説
トランセンデンタリズム
Transcendentalism
アメリカの思想家R.W.エマソンとその周囲の文人,宗教家たちのロマン主義思想をいう。超越主義,超絶主義と訳す。エマソンの《自然》(1836)出版後,彼の周囲に集まったユニテリアン派の牧師たち(ヘッジFrederic H.Hedge,T.パーカー,リプリーGeorge Ripleyら),随筆家H.D.ソロー,教育家A.B.オールコット,批評家S.M.フラー,詩人チャニングWilliam E.Channing,ベリーJones Veryなどがその代表者である。彼らの討論会が〈超越クラブTranscendental Club〉と報道され,この言葉が彼らの思想の名称となった。超越という言葉はカント哲学に由来し,したがって広くドイツ観念論哲学に関係するが,エマソンらのグループではヘッジだけが直接ドイツ観念論に通じており,他はイギリスのS.T.コールリジとT.カーライルの文章を通して観念論に接した。超越主義は悟性や経験を超越して直観によって真理を把握すべきであるという主張を基盤としていた。初めはフラー,次にはエマソンを編集者とする季刊誌《ダイアルThe Dial》(1840-44)が発行されたが,その副題〈文学・哲学・宗教の雑誌〉は,この一派の性格と活動範囲を表している。超越主義運動とは,ニューイングランドの宗教的伝統を根幹として花咲いた思想運動であり,同時にロマン主義文学運動でもあり,また精神の改革を主張しながら社会改革にも意欲をもった運動であった。
元来アメリカのピューリタンはカルバン派の会衆派であったが,19世紀初めにはカルバン派の三位一体説を排して,キリストの神性を否定するユニテリアンに転向する牧師が多く出た。エマソンもユニテリアン牧師であった。しかし,この派の信仰には理性尊重の傾向が強いのに不満をもち,エマソンらは直観により神を知るべしと主張して,いわばユニテリアンの最左翼となった。このように超越主義はユニテリアン派内の神学運動という一面があった。同時に世界宗教的関心も強かったことから,彼らにはヒンドゥー教や仏教などの経典を愛読する者が少なくなかった。〈自然は精神の象徴である〉というエマソンの言葉は,物質界と精神界(神)との照応関係の認識から出ており,この象徴論は19世紀中期のアメリカ文学黄金時代の作家たちに影響を及ぼし,アメリカ独自の象徴主義文学の源泉になったといえる。超越主義の社会改革運動は,リプリーが主宰したボストン郊外における共同生活団ブルック・ファームに見られるが,この生活団に参加したN.ホーソーンは,彼らの理想社会の夢がはかなく破れ去ったてんまつを小説化した。A.B.オールコットとその家族を中心とした寒村ハーバードのフルートランズFruitlands(菜食主義生活団。1842-43)も,オールコットの娘ルイザが記録しているようにみじめな失敗に終わった。日本では青年の思想書として,エマソンは明治期に愛読され翻訳も多く出たが,ユニテリアン派の宗教書としても《エマソン氏一語千金》(1897)や《パーカー氏一語千金》(1910)といった金言集が日本ゆにてりあん弘道会から発行された。
執筆者:斎藤 光
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報