ベーレンス(英語表記)Peter Behrens

精選版 日本国語大辞典 「ベーレンス」の意味・読み・例文・類語

ベーレンス

  1. ( Peter Behrens ペーター━ ) ドイツ建築家最初近代建築といわれる鉄骨コンクリートガラスを大胆に用いたAEGタービン工場を設計。(一八六八‐一九四〇

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改訂新版 世界大百科事典 「ベーレンス」の意味・わかりやすい解説

ベーレンス
Peter Behrens
生没年:1868-1940

ドイツの建築家。ハンブルク生れ。はじめ画家として出発し,ミュンヘン・ゼツェッシオン(分離派)に属す。ダルムシュタットの芸術家村に招かれ自邸(1901)を設計,ここにはアール・ヌーボーの影響が見られる。デュッセルドルフ工芸学校の校長時代(1903-07)に造形への思索を深め,建築から工芸まで新時代にふさわしい合理主義的造形理論を探る。AEG社デザイン顧問(1907)となりベルリンに移り,同社の電気器具から工場までデザインを担当。なかでも同社のタービン工場(1909)は,近代建築史上工場建築として高い評価を得た最初の作品として知られる。このころ,事務所にグロピウス,ミース・ファン・デル・ローエがおり,ル・コルビュジエも訪ね来たり彼の影響を受ける。またムテジウスHermann Muthesius(1861-1927)とともにドイツ工作連盟Deutscher Werkbund(1907ミュンヘンで設立)の指導者として建築,工芸の振興に尽くす。大戦後はベルリンとウィーンアカデミーで教壇に立つかたわら,IG染料会社事務所(1924)のような表現主義的作品から,ベルリンのアレクサンダー広場の事務所ビル(1931)のような,国際様式建築へと作風を変えていった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベーレンス」の意味・わかりやすい解説

ベーレンス
べーれんす
Peter Behrens
(1868―1940)

ドイツの建築家。ハンブルクに生まれる。初めミュンヘンで画家を志したが、ウィリアム・モリスの影響を受けて、1893年ミュンヘン分離派に参加する。1901年ダルムシュタットの芸術家村で自邸を設計、これを契機に建築へ進み、デュッセルドルフの工芸学校校長(1903~07)、ついで07年からベルリンの電気会社AEG(アーエーゲー)のデザイナーとして活躍した。第一次世界大戦後はウィーン・アカデミーの建築科教授、プロシア芸術アカデミーの建築科教授を歴任した。晩年の作に表現主義的なフランクフルトのヘヒスト染料工場(1929)がある。ベルリンに没。

 ベーレンスはAEG時代には、タービン工場に代表される工場建築、社員住宅を設計するほか、同社の製品からポスター、レターヘッドまでをデザインし、古典的で端正な造形を工業的な合理性と結び付けて、近代デザインの可能性を開拓した。とくにAEGタービン工場(1908~09)は、その表現にこそ古典主義美学を受け継いだクラシックな造形がみられるが、基本的構造方式はのちにミース・ファン・デル・ローエやグロピウスによって止揚されることになるデザイン性をすでに内包させている。

[高見堅志郎]

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百科事典マイペディア 「ベーレンス」の意味・わかりやすい解説

ベーレンス

ドイツの建築家。ハンブルク生れ。ミュンヘンで画家,工業デザイナーとして活動したのち,ダルムシュタットの芸術家村に招かれ建築家としての活動を始めた。ユーゲントシュティールの合理主義的傾向に古典主義的傾向を加味して,ダルムシュタット,ベルリンなどに多くの住宅建築を手がけ,またAEG会社のデザイン顧問として電気器具から工場までを設計。なかでも同社のタービン工場は近代建築史上最初に高い評価を得た工場建築である。門下にル・コルビュジエグロピウスミース・ファン・デル・ローエらがいる。
→関連項目機能主義建築ゼツェッシオンドイツ工作連盟

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベーレンス」の意味・わかりやすい解説

ベーレンス
Behrens, Peter

[生]1868.4.14. ハンブルク
[没]1940.2.27. ベルリン
ドイツの建築家,インダストリアル・デザイナー。画家を志すが W.モリスの影響を受けてデザイン,工芸に転じた。 1890年ミュンヘンに移って同地のゼツェッション運動 (→分離派 ) を創始 (1893) 。 1900年にヘッセ公に招かれてダルムシュタット芸術家村に参加,そこで自邸を設計して以来建築に開眼し,J.オルブリヒの影響を受けながら独自の様式を追求。 03~07年ジュッセルドルフ工芸学院院長。 07年ベルリンに移住し,電機メーカー AEGの美術顧問として 09年より同社の製品デザインを担当。古典主義と近代合理主義の融合をはかった。建築作品では特に 09年のAEGタービン工場に代表される工場群は現代工場建築の出発点とされる。第1次世界大戦後は表現主義によるヘキスト染料工場 (1925) などを手がけ,その後は国際様式に転じた。 22~27年ウィーンの美術アカデミー,36年ベルリン・アカデミーの教授。門下に W.グロピウスや L.ミース・ファンデル・ローエ,ル・コルビュジエがいる。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ベーレンス」の解説

ベーレンス

ドイツ出身のスウェーデンの作曲家、ピアニスト。初めは、フルート奏者で作曲家の父カール・ベーレンスに音楽の手ほどきを受け、その後ドレスデンでカール・ライシンガーに師事する。1847年にスウェーデンに定住 ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典(旧版)内のベーレンスの言及

【工場】より

…しかし最も有名で影響力の大きかったのはフォードの自動車工場のほとんどを設計したカーンAlbert Kahn(1869‐1942)で,短い工期で大規模な工場を建築するシステムを開発し,革命後のソ連に招かれ工場建設を指導した。近代建築史で工場建築が高い評価を得るのは,ベーレンスのAEG社タービン工場(1907)とされるが,弟子グロピウスのファグス靴工場(1911)にいたって近代産業にふさわしい工場建築の典型が定まった。他方,フランスのA.ペレは,パリの衣服工場(1919)のようにアーチやシェルなどコンクリート構法の特性を巧みに生かした工場を設計し広く影響を与えた。…

※「ベーレンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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