ベーレンス(読み)べーれんす(英語表記)Peter Behrens

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベーレンス」の意味・わかりやすい解説

ベーレンス
べーれんす
Peter Behrens
(1868―1940)

ドイツの建築家。ハンブルクに生まれる。初めミュンヘンで画家を志したが、ウィリアム・モリスの影響を受けて、1893年ミュンヘン分離派に参加する。1901年ダルムシュタットの芸術家村で自邸を設計、これを契機に建築へ進み、デュッセルドルフの工芸学校校長(1903~07)、ついで07年からベルリンの電気会社AEG(アーエーゲー)のデザイナーとして活躍した。第一次世界大戦後はウィーン・アカデミーの建築科教授、プロシア芸術アカデミーの建築科教授を歴任した。晩年の作に表現主義的なフランクフルトのヘヒスト染料工場(1929)がある。ベルリンに没。

 ベーレンスはAEG時代には、タービン工場に代表される工場建築、社員住宅を設計するほか、同社の製品からポスター、レターヘッドまでをデザインし、古典的で端正な造形を工業的な合理性と結び付けて、近代デザインの可能性を開拓した。とくにAEGタービン工場(1908~09)は、その表現にこそ古典主義美学を受け継いだクラシックな造形がみられるが、基本的構造方式はのちにミース・ファン・デル・ローエやグロピウスによって止揚されることになるデザイン性をすでに内包させている。

[高見堅志郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベーレンス」の意味・わかりやすい解説

ベーレンス
Behrens, Peter

[生]1868.4.14. ハンブルク
[没]1940.2.27. ベルリン
ドイツの建築家,インダストリアル・デザイナー。画家を志すが W.モリスの影響を受けてデザイン,工芸に転じた。 1890年ミュンヘンに移って同地のゼツェッション運動 (→分離派 ) を創始 (1893) 。 1900年にヘッセ公に招かれてダルムシュタット芸術家村に参加,そこで自邸を設計して以来建築に開眼し,J.オルブリヒの影響を受けながら独自の様式を追求。 03~07年ジュッセルドルフ工芸学院院長。 07年ベルリンに移住し,電機メーカー AEGの美術顧問として 09年より同社の製品デザインを担当。古典主義と近代合理主義の融合をはかった。建築作品では特に 09年のAEGタービン工場に代表される工場群は現代工場建築の出発点とされる。第1次世界大戦後は表現主義によるヘキスト染料工場 (1925) などを手がけ,その後は国際様式に転じた。 22~27年ウィーンの美術アカデミー,36年ベルリン・アカデミーの教授。門下に W.グロピウスや L.ミース・ファンデル・ローエ,ル・コルビュジエがいる。

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