フランスの古典学者,詩人。ラテン名アウラトゥスAuratus。リモージュの出身。パリに出て,〈王立教授団〉の一員J.トゥサンに師事した。家庭教師などを経て,1556年トゥルネブスと並んで〈王立教授団〉の一員に任命され,67年に引退するまで務めた。学術的著作はまったく発表しなかったが,講義では古代ギリシア詩のほぼ全般にわたってそのすばらしさを説き,熱心な聴衆を集めた。その中にはM.A.deミュレやW.カンテールなど古典学者となった弟子ばかりでなく,ロンサールやバイフなどの詩人も多数含まれていた。このためドラは後に,〈プレイヤード派〉の祖と目されることになった。アイスキュロスをはじめとして多岐にわたる彼の本文校訂上の業績も,講義に列席した弟子たちの伝承により後世に伝えられたものが多い。
執筆者:片山 英男
S.フロイトによって1901年に書かれ,05年に《あるヒステリー患者の分析の断片》と題して発表された症例報告中の患者の名。ドラは幼時から夜尿,呼吸困難,偏頭痛,神経性の咳などに悩んできたが,18歳のときに失声,父と争った後の失神発作などが激しくなって,フロイトの治療を受けるに至った。フロイトはドラの分析を通して,父親とK氏夫人との不倫な関係や,彼女に対するK氏の性的誘惑などの契機,疾病利得,ヒステリーの身体症状の基礎をなす身体的対応の概念,症状と性衝動の関係など,ヒステリーの精神病理を解明した。治療はわずか3ヵ月で中断したが,フロイトはその理由として,ドラの感情転移を適切に処理できなかったこと,K氏夫人に対する同性愛的感情の意義に早く気づかなかったことなどを挙げている。
執筆者:馬場 謙一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
※「どら」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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