改訂新版 世界大百科事典 「ドリーシュ」の意味・わかりやすい解説
ドリーシュ
Hans Adolf Eduard Driesch
生没年:1867-1941
ドイツの発生学者で後に哲学に転向。学生時代はフライブルク大学でA.ワイスマンに,イェーナ大学でE.H.ヘッケルに動物学を学ぶ。1891年にナポリの臨海実験所で彼がウニの二細胞期の胚を二つに分けたところ,W.ルーやワイスマンが主張するような半分の胚が現れず,小さいながら完全な幼虫が生じた。このため物理・化学に立脚した発生理論に疑問をもち,99年に生気論に立つことを明らかにし,1909年の《有機体の哲学》でその思想を展開した。発生現象を一般化し,全体の大きさに無関係に各構成部分が相対的な位置にみあった分化を行う系を調和等能系と名づけ,これこそ生命独自の現象だとしてこれを起こす作用因をアリストテレスのエンテレケイアにちなんでエンテレヒーEntelechieと呼んだ。これは秩序または情報性を供給する作用因と解釈することができ,彼自身も《秩序学Ordnungslehre》(1912)と秩序の実在性を論じた《実在学Wirklichkeiteslehre》(1917)を二大著作だとしている。
執筆者:米本 昌平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報