ドイツの動物発生学者。イエナで生まれる。イエナ、ベルリン、ストラスブールの各大学で動物学、医学、哲学を学んだ。イエナ大学ではE・H・ヘッケルに師事した。ブレスラウ大学講師をはじめとしてブレスラウ、インスブルック、ハレ各大学の解剖学教授を歴任した。解剖学、発生学を専門とし、それまでの記載的発生学の枠を超えた因果分析的な実験発生学の立場での研究を提唱し、自らも血管分岐に関する研究などを行った。ルーの名を高めた実験の一つはワイスマンの生殖質説を実験的に確かめるために行われたもので、カエルの2割球の一つを焼灼(しょうしゃく)し、正常胚(はい)を正中線で半分にしたような半胚を得たものである。このように実験によって胚発生の機構を明らかにしようとする学問を発生機構学とよび、1894年には発生機構学のための雑誌『生物発生機構学論文集』を創刊した。この雑誌は現在でもルーの名を冠し『ルー記念発生生物学論文集』の名で刊行されている。主著は『生物体の発生機構学のプログラムと研究法』(1897)、『発生機構学 生物学の新しい一分野』(1905)、『動物と植物の発生機構学の術語考』(1912)など。
[竹内重夫]
フランスの細菌学者。パリ大学に学び、1881年同大学で学位を取得。1884年パリのパスツール研究所の助手になったが、当時は、パスツールの狂犬病ワクチン研究が軌道に乗りかけたころであった。狂犬病ワクチンの人体への応用第一例(1885年7月6日注射開始)についての科学アカデミーへの報告の連名を、基礎実験不十分としてルーは拒否したと伝えられるが重要な協同研究者である。1888年エルサンと共同でジフテリア毒素を発見、抗毒素の研究へと発展した。1903年メチニコフと共同で梅毒病原スピロヘータのサル感染実験に成功し、梅毒スピロヘータの病原説が証明された。1904~1918年パスツール研究所長を務めた。
[藤野恒三郎]
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フランスの革命政治家。フランス革命下,アンラジェ(過激派)といわれたサン・キュロット運動指導者の一人。フランス南西部シャラント県に生まれる。同地方アングレームの神学校の哲学,物理学の教授を経て,各地の助任・主任司祭をつとめた。革命勃発後,90年春,同地方コナックの反領主農民騒擾を扇動したかどで秘跡授与の聖務を停止され,同年パリに出た。宣誓聖職者サン・ニコラ・デ・シャンの助任司祭となる一方,コルドリエ・クラブなどに出入りし,サン・キュロット運動の指導者としてしだいに人気を博した。93年,パリ市総評議会の議員に選出され,その代表として国王処刑に立ち会った。さらに93年2月には物価騰貴に反対するパリ民衆の食料暴動を扇動したが,同年6月国民公会で,買占め人弾圧の不徹底などジャコバン憲法の反民衆的性格に抗議したため,ジャコバン派から非難をあび,逮捕されて獄中で自殺した。
執筆者:小井 高志
ドイツの動物学者で実験発生学の創始者。初めイェーナ大学の哲学の学生となったが,兵役で中断ののち医学部に再入学した。のちにインスブルック大学,ハレ大学で解剖学教授をつとめる。E.H.ヘッケルの系統発生的な形態発生理論を批判的に継承し,形態発生を因果論的に解明しようとした。これは因果解明の手段として実験を重視する発生力学(発生機構学)Entwicklungsmechanikの思想として結実し,1895年に創刊された《発生力学雑誌Archiv für Entwicklungsmechanik》は今なおこの分野での重要雑誌である。1888年に二細胞期のカエルの胚の一方を赤熱した針で殺したところ半分の胚が生じたと報告したが,H.ドリーシュらによって誤りであることが示された。
執筆者:米本 昌平
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…なかでもアイルランドの祖先といわれるマイリージアに敗れたトゥアハ・デ・ダナーンTuatha Dé Danann(女神ダヌーの種族の意)がしだいに神格化されていった。ダヌーDanuは豊饒と富の女神,ルーLughは太陽・光・知恵の神,リルLirは息子マナナンMananannと共に海の神であり常若(とこわか)の国の王である。またダグザDagdaは大地の神であり,オグマOgmaは雄弁・詩歌の神で,ケルト最古の文字オガム(オガム文字)の発明者とされ,エーンガス・オグAngus Ogは美・若さ・愛の神で,ヌアザNuadaは戦いの神でありモリガンMorriganは死と血を求め戦場を飛び回る戦いの女神とされ,これらの神々にまつわる話がさまざまに伝えられている。…
… ほとんどのソースの土台となるのはだしで,白色系のソースの土台となる〈白いフォンfond blanc〉と茶色系ソースの土台となる〈茶色いフォンfond de veau〉,鶏をはじめとする家禽(かきん)類の料理用の〈鶏のフォンfond de volaille〉,それに魚料理に用いる〈魚のフュメfumet de poisson〉がある。これにルーrouxをはじめとする種々のつなぎを合わせてソースが作られる。 〈白いフォン〉は下ゆでした子牛のすねの骨と野菜(ニンジン,タマネギ,セロリ,トマトなど),香辛料(パセリの茎,タイム,ゲッケイジュの葉,丁字)を加えた水を沸騰させたのち,表面がおどるくらいの火加減で,蒸発分の沸騰湯を加えながら,4~10時間煮込んでこしたもの。…
… かつてはケルト人の一部族の首邑であり,ローマ時代にはアウグストボナAugustobonaと呼ばれた歴史の古い都市で,4世紀にはすでに司教座が置かれた。451年にアッティラの率いるフン族から市を救った司教ルーLoup(426‐478)は有名である。中世にはシャンパーニュ伯の支配下に入り,その領地の中心として栄えた。…
…原義は〈激昂する者〉。通常はパリのルー,バルレJean‐François Varlet,ルクレールJean‐Théophile‐Victor Leclerc,女性活動家のレオンPauline LéonとラコンブClaire (Rose) Lacombeのことを指すが,オルレアンのタブーローFrançois‐Pierre Taboureau de Montignyや,リヨンのシャリエMarie‐Joseph Chalier,さらにエタンプ村の司祭ドリビエもアンラジェと考えられる。彼らの特徴は,民衆の日常生活における不満や希望を代弁して政治スローガン化し,それを議会や政府につきつけたことにある。…
…体細胞分裂において各種のデテルミナントはそれぞれ特定の細胞に分配され,それによって体細胞の分化をもたらすと考えた。この考えは個体発生をモザイク的に説明するW.ルーのモザイク説と合流して一つの理論(ワイスマン=ルーのモザイク説)となったが,19世紀の終りより20世紀前半におこなわれた種々の実験発生学的研究によって完全に否定された。しかし現在でも生殖質という用語は,その種に特有の遺伝物質(遺伝子)の総体,または遺伝資源というような意味で用いられている。…
… 19世紀の後半になると,生物の発生の研究の基本的目標が系統,進化を根拠づけるという当初の動機とは離れ,しかも,発生という過程の観察,記述のみにとどまらず,どのような原因でこのような劇的な変化が起こるのかを,発生中の生物(胚)に実験的操作を試みることによって調べようという気運が高まってきた。W.ルーはこのような研究の分野は,その研究の目標,方法の違いからそれ以前からあった発生学とは独立したものであると考え,Entwicklungsmechanik(ドイツ語。発生力学または発生機構学と直訳された)と呼んだ。…
※「ルー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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