フランスの作曲家。母から音楽の手ほどきを受け、パリ音楽院でオルガン、作曲などを学ぶ。17歳からパリのサン・ピエール・ド・シャイヨ教会のオルガン奏者を務めつつ、リリック座のピアノ伴奏者としても働いた。1856年最初のオペレッタを発表。63年以後はパリ・オペラ座で伴奏者、合唱指揮者などを歴任、その間、合唱曲、オペラ・コミックなどを作曲した。66年、彼の最初のバレエ『泉』(ミンクスと共作)で成功、バレエ作曲家としての名声を獲得し、ついでE・T・A・ホフマンの小説による『コッペリア』(1870)、『シルビア』(1876)も大成功を収めた。両作品ともバレエ音楽をもとにした組曲としても知られている。オペラのなかでもっとも成功した作品は『ラクメ』(1883)で、そのなかの技巧的なソプラノのアリア「鐘の歌」は有名。81年パリ音楽院の作曲の教授に就任、84年にはアカデミー会員に選ばれた。
[美山良夫]
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フランスの作曲家。パリ音楽院で学ぶ。ピアノ奏者,オルガン奏者を務めながらオペレッタ《炭2スー》(1855)以後,オペラを次々に発表。次いでバレエ曲も手がけ,《泉》(1866),《コッペリア》(1870),《シルビア》(1876)など,19世紀後半の重要なバレエ曲を残した。1881年母校作曲科教授。ほかにオペラ《ラクメ》,ミュッセ,ユゴーらの詩による歌曲などがある。洗練された優雅な作風で知られる。
執筆者:小場瀬 純子
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…ドリーブ作曲の3幕のバレエ。《エナメルの眼の娘》の副題をもつ。…
※「ドリーブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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