プティ

百科事典マイペディア 「プティ」の意味・わかりやすい解説

プティ

フランスの舞踊家,振付家。パリ近郊のビルモンブル生れ。パリ・オペラ座バレエ学校を首席で卒業,オペラ座バレエ団に入団。第2次世界大戦下はシャラと組んで公演を行った。パリ解放の1944年オペラ座を退団,翌1945年シャンゼリゼ・バレエ団,1948年パリ・バレエ団を結成。この時期,《若者と死》(1946年,バッハ曲),《カルメン》(1949年,ビゼー曲),《狼》(1953年,デュティユー曲)などの代表作を振り付けている。1954年ジャンメールと結婚,このころからショー・ビジネスの世界へと進出,ミュージカルや映画,レビューなどの振付や演出も手がける。1971年マルセイユ市の招きでマルセイユ・ローラン・プティ・バレエ団を設立,世界各地で活躍し,日本でもたびたび公演を行ったが,1998年に監督の座を退任。上記以外の代表作として《ノートル・ダム・ド・パリ》(1965年,モーリス・ジャール曲),《トゥランガリラ》(1968年,メシアン曲),《プルースト―失われた時を求めて》(1974年,サン・サーンス,R.ワーグナー他曲),《コッペリア》(1975年,ドリーブ曲)などがある。→プリセツカヤ

プティ

フランスの物理学者エコール・ポリテクニク教授。デュロンと協力し固体熱膨張研究水銀熱膨張率測定。1819年デュロン=プティの法則発見

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改訂新版 世界大百科事典 「プティ」の意味・わかりやすい解説

プティ
Roland Petit
生没年:1924-2011

フランスの舞踊家,振付師。パリ近郊ビルモンブルに生まれる。パリ・オペラ座バレエ学校を出て,1939年同オペラ座の舞台に立つ。J.コクトーらの支持を得たが,44年脱退。第2次大戦後,シャンゼリゼ・バレエ団を経て,48年バレエ・ド・パリを設立。フォンテイン主演の《夜の淑女たち》(1948),妻のジジ・ジャンメールRenée(Zizi)Jeanmaire(1924- )が名声を得た《カルメン》(1949)や《狼》(1953),《シラノ・ド・ベルジュラック》(1959)などは,大きな反響を呼び,戦後のバレエ界を刺激した。その後,パリ・オペラ座のため《ノートル・ダム・ド・パリ》(1965)の大作を創る一方,レビューやハリウッド映画(《アンデルセン物語》《足ながおじさん》など)を手がけ才覚をみせた。72年以降マルセイユを本拠に活躍,現在,フランス国立マルセイユ・ローラン・プティ・バレエ団を主宰している。来日公演のうち,78年の《コッペリア》(1975)ではコッペリウス役で渋味のある演技を,81年の《こうもり》(1979)ではウィンナ・ワルツを生かしたすぐれた現代感覚による創作をみせた。
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