知恵蔵の解説
(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…精緻な宗教哲学体系で知られる同派に理論的根拠を与えたのは,10世紀に活躍したイフワーン・アッサファーであった。ファーティマ朝第6代カリフ,ハーキムは自らを神格化する新たな宗派をつくり,この派は初期指導者ダラジーの名にちなんでドルーズ派と呼ばれ,その信徒は現在,シリア,レバノン,イスラエルに数十万いる。同朝第8代カリフ,ムスタンシルの死後,後継イマームをめぐって同派は大きく分裂した。…
… こうして,〈聖地とキリスト教徒(巡礼)の保護〉の名目で,〈東方問題〉がシリアの事情をいっそう複雑にする。たとえば,レバノンでシハーブShiḥāb家はドルーズ派から改宗してマロン派キリスト教徒になっており,15世紀以来ローマと関係をもつ同派本山の威光と財力とでレバノン山岳部の統一を果たし,たび重なる農民蜂起もフランス軍の力で鎮圧する。一連の農民蜂起の種はアッカー(アッコ)の知事ジャッザールが内陸シリアの実権を握り過酷な収奪を続けたことに起因する。…
…そればかりか,資源的・経済的にも自給力があったし,自衛することも可能であったから,山間部の住民は自治を維持することがどの権力の下でもできた。17~18世紀には,ドルーズ派のマーンMa‘n家の勢力がシリアの内陸やパレスティナに及ぶこともあったし,山のレバノンは政治的統合に向けて動きはじめていた。 19世紀の前半に,一時エジプトのムハンマド・アリー朝の支配を受けたが,その頃になると新しい転機が熟する。…
※「ドルーズ派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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