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ドロルム ドロルムDelolme, Jean Louis

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドロルム
Delolme, Jean Louis

[生]1740. ジュネーブ
[没]1806.7.16. セーウェン
スイスの憲法学者。イギリスに亡命中,『イギリス憲法論』 Constitution de Angliterre (1771) を著わし,イギリス憲法の特徴を初めて体系的に解明したことで知られる。イギリスの憲法と政治機構は抽象的理性の産物ではなく経験の結果得られた教訓に基づくものであり,人間の権力欲を抑制均衡のシステムを通じて緩和することによって運用されていると論じた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ドロルム【Philibert Delorme】

1510ころ‐70
フランス・ルネサンスの建築家。De l’Ormeとも書く。リヨンの石工の家系に生まれ,父の現場で中世以来の建築技術を会得したのち1533年ローマに留学し,遺跡の発掘と記念建造物の実測を通して古代およびルネサンスの建築を研究。帰郷後まもなくビュリウー邸(1539)を手がけ,パリに呼ばれてベレー枢機卿のためにサン・モール城(1563)を設計した。アンリ2世即位後,王室建築総監としてディアーヌ・ド・ポアティエのためのアネ城(1552)やフォンテンブロー城〈舞踏の間〉(1550)などを指揮。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドロルム
どろるむ
Philibert Delorme (de l'Orme)
(1515ころ―1570)

フランス・ルネサンスの建築家。リヨンの建築職人の家に生まれる。1533~36年にローマに滞在して古代建築やイタリア・ルネサンスの建築を学ぶ。帰国後はアンリ2世に認められ王室建築総監となり、サン・ドニ聖堂のフランソア1世廟(びょう)(1547)、アネの城館(1552~59)などを設計。王の死後一時失脚した時期に、『実用新住宅建築構造』(1561)、『建築概論』(1567、第一巻のみ)の二著を執筆したが、これらはフランスにおける最初の建築理論書として同時代および後世のフランス建築界に多大の影響を与えた。晩年にはカトリーヌ・ド・メディシスのためにチュイルリー宮の設計を行った(死後完成したが現在は破壊)。パリで没。[篠塚二三男]

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世界大百科事典内のドロルムの言及

【フォンテンブロー宮殿】より

…その後,ルーブル宮殿やコンピエーニュ宮殿と同じく,フランス王室が長い時間をかけて増築を繰り返す。工事にはアンリ4世時代のドロルムからルイ15世時代のガブリエルに至る,歴代の王室建築家がかかわった。そのため建物の配置は不整形で,西側の最も古い部分(〈ユリシーズの間〉など謁見,宴会などのための公的な部屋を配置),中央の馬蹄形の一画(国王や王妃のための私室群),東側のコの字形の一画(兵士の区画)に,大きく分けられる。…

※「ドロルム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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