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ナミビア ナミビア Namibia

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ナミビア
ナミビア
Namibia

正式名称 ナミビア共和国 Republic of Namibia。旧称南西アフリカ。面積 82万4116km2。人口 232万4000(2011推計)。首都 ウィントフークアフリカ大陸南西部,北はアンゴラ,東はボツワナ,南は南アフリカ共和国と国境を接する。

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デジタル大辞泉の解説

ナミビア(Namibia)

アフリカ南西部、大西洋に臨む共和国。首都ウィントフーク。旧ドイツ領南西アフリカ。1920年、南アフリカ連邦委任統治領となり、第二次大戦後、国連信託統治領に移行させ独立をはかるが、南ア連邦は認めず、1962年、南西アフリカ人民機構が結成され独立運動を展開。1968年にナミビアと呼称を改め、1990年独立。ダイヤモンドウラン・銅などの産地。人口213万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

ナミビア

◎正式名称−ナミビア共和国Republic of Namibia。◎面積−82万5615km2。◎人口−211万人(2011)。◎首都−ウィントフックWindhoek(32万人,2011)。

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世界大百科事典 第2版の解説

ナミビア【Namibia】

正式名称=ナミビア共和国Republic of Namibia面積=82万5118km2人口(1996)=170万人首都=ウィントフークWindhoek(日本との時差=-8時間)主要言語=バントゥー諸語アフリカーンス語,英語通貨=ナミビア・ドルNamibian Dollarアフリカ南西部,大西洋に面した共和国。1968年までは〈南西アフリカ〉と呼ばれた。国際世論を無視し南アフリカ共和国(南ア)が統治していたが,90年独立した。

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大辞林 第三版の解説

ナミビア【Namibia】

アフリカ南西部の大西洋に臨む共和国。1884年ドイツ保護領になり、南西アフリカとよばれた。1920年南アフリカ連邦の国際連盟委任統治領。68年国際連合は呼称をナミビアと改め、90年南アフリカ共和国から独立。ダイヤモンド・ウラン・銅・スズなどの資源が豊富。首都ウィントフック。住民はバンツー系黒人。主要言語はアフリカーンス語と英語。面積82万4千平方キロメートル。人口200万( 2005)。正称、ナミビア共和国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ナミビア
なみびあ
Namibia

アフリカ南西部にある共和国。旧称は南西アフリカ。国名は国の海岸部に連なるナミブ砂漠にちなむ。北はアンゴラ、東はボツワナ、南は南アフリカ、北東部でザンビアと接し、西は大西洋に面する。1920年より、南アフリカ連邦の国際連盟委任統治領であったが、1945年に南アフリカ連邦が南西アフリカを国際連合信託統治制度の下に置くことを拒否し、不法統治が続けられた。1990年3月21日、正式に南アフリカ共和国(1961年に南アフリカ連邦が共和制に移行し改称)から独立した。面積82万5615平方キロメートル(2011)、人口210万(2011年国勢調査)、人口密度1平方キロメートル当り2.5人、人口増加率は年1.5%(2011)。首都はウィントフーク。[藤岡悠一郎]

自然

地勢は(1)海岸部を幅80~120キロメートルにわたって延びるナミブ砂漠、(2)内陸部に位置する標高1000~2000メートルの中央高地、(3)ナミブ砂漠と中央高地の間に連なるグレート・エスカープメントといわれる急崖(きゅうがい)地帯、(4)北部から南東部に広がるカラハリ盆地の4地域に分かれる。気候は乾燥気候が全域で卓越し、昼夜の温度差が大きい。年降水量は北東部で600ミリメートル、南西部で50ミリメートル以下であり、12~3月が雨季にあたる。ナミビア近海は寒流のベンゲラ海流が南から北へ流れ、その影響でナミブ砂漠では頻繁に霧が発生する。霧は降雨量の少ないナミブ砂漠に生息する動植物にとって重要な水源となる。恒常河川は北部国境を流れるクネネ川、オカバンゴ川、ザンベジ川、南部国境のオレンジ川のみで、それ以外のフィッシュ川やクイセブ川、スワコプ川などは雨季のみ水が流れる季節河川である。植生は、西部では砂漠となり、季節河川以外には植物がほとんど生育しない。ウェルウィッチア科のウェルウィッチア(園芸名は奇想天外)やウリ科のナラなどの固有種が生育する。内陸部ではサバンナが広がり、マメ科樹木のアカシアが優占する。また、北部ではマメ科樹木のモパネが優占する植生帯が広がる。動物は、ゾウ、サイ、キリン、シマウマ、スプリングボック、カバなどの草食動物やライオン、チーター、ヒョウなどの肉食動物が生息する。海岸沿いのケープクロスはオットセイの生息地である。北部のエトシャ国立公園をはじめ、20か所以上の保護区が設置されている。なお、クネネ州のトゥウェイフルフォンテーンに残る壁画遺跡が2007年にユネスコ世界遺産に登録された。[藤岡悠一郎]

歴史

ナミビアには、もともとコイサンに属する言語を話す民族グループが住んでいたとみられ、16世紀までにバントゥ系の言語を話すオバンボ人やヘレロ人がナミビア北部から中部に移住してきた。15世紀末から大西洋岸にポルトガル人が来航したが、砂漠地帯であるためヨーロッパ諸国の関心は薄かった。1878年にイギリスがこの地域の唯一の港ウォルビス・ベイを占領。この港を除く地域は1884~1885年のベルリン会議でドイツ領南西アフリカとなった。ドイツの植民地化に対し、1904~1907年にかけてヘレロ人、ナマ人の反乱が起きたが、いずれも鎮圧された。
 第一次世界大戦中に南アフリカ連邦軍が南西アフリカを占領し、1920年に南アフリカ管理下の国際連盟委任統治領となった。第二次世界大戦後、国際連合は、人種差別政策(アパルトヘイト)によって先住民の抑圧を続ける南アフリカに対し、南西アフリカを国連の信託統治領に移行させ、住民の自治と将来の独立を認めるよう勧告したが、南アフリカはこの勧告を無視した。
 1966年、国連は南アフリカ共和国(旧称南アフリカ連邦)の信託統治を終了させ、南西アフリカを国連の管理下に入れることを決議し、1967年には、独立までの行政を担当する「国連南西アフリカ理事会」を設立した。また1968年の国連総会では国名をナミビアと改称することを決議し、1971年には国際司法裁判所が南アフリカに不法統治をやめ即時撤退するよう勧告した。南アフリカはこれらの勧告を拒否し、自治権縮小やアパルトヘイトの強化を進めた。一方国内では、最大の人口をもつオバンボ人が中心となり、不法統治に反対する組織「南西アフリカ人民機構(SWAPO:South West African People's Organization)」を1962年に結成し、1966年から武力闘争を開始した。1975年に南アフリカ政府は国際的な非難をかわすため、SWAPOを除いた勢力で制憲会議(ターンハレ会議)を発足させた。国連とSWAPOはこれに反対し、国連監視下での公正な選挙による独立を決議した。1978年12月に南アフリカは国連決議を無視して一方的に選挙を実施し、その結果、民主ターンハレ同盟(DTA:Democratic Turnhalle Alliance)が多数を獲得して制憲議会が成立、翌1979年5月に国民議会へ移行した。同年7月にDTAを中心とする暫定政府が発足したが、1983年1月に南アフリカはDTAとの対立から同政府を解散し、南アフリカが派遣した行政長官による直接支配を復活させた。1983年11月、DTA、SWAPO民主派など6党で多党会議(MPC:Multi-party Conference)が結成され、1985年6月にMPCによる暫定政府を発足させた。しかし同政府は南アフリカの傀儡(かいらい)政権で、国際的承認は得られなかった。
 ナミビアは、1975年のアンゴラ独立後に起きたアンゴラ内戦に介入した南アフリカ軍の拠点となり、アンゴラとの国境付近では南アフリカ軍とアンゴラ軍、キューバ軍が対峙していた。1982年、南アフリカを支援するアメリカは、キューバ軍のアンゴラからの撤退を交換条件としてナミビアの独立を認めることを提案した。1988年2月、アンゴラ、キューバ、アメリカ、南アフリカの代表が会談し、キューバ軍のアンゴラ撤退を条件に、ナミビアの独立が合意された。1989年11月、制憲議会選挙が実施され、1990年3月に独立を達成、SWAPO議長のヌヨマ(ヌジョマ)Samuel Daniel Shafiishuna Nujoma(1929― )が初代大統領に就任した。[藤岡悠一郎]

政治

制憲議会は二院制がとられ、複数政党制が採用された。72名からなる国民議会と全国13地域から各2名ずつ選出された代表から構成される国民評議会からなる。独立後の選挙では両院ともSWAPOが多数議席を占めた。元首は大統領で任期は5年、再選まで(3選禁止)。大統領のヌヨマは民族和解政策を掲げ、解放闘争期の対立解消につとめるとともに、白人・黒人の格差の基になっていた不平等な土地所有制度の改革に着手した。独立以後も南アフリカの飛び地とされていたウォルビス・ベイは、交渉の末、1994年3月に返還された。外交では、国際連合、アフリカ統一機構(2002年7月アフリカ連合に改組)、イギリス連邦に加盟し、周辺国との関係では南部アフリカ関税同盟、南部アフリカ開発調整会議(1992年以降南部アフリカ開発共同体に移行)に加盟した。1994年12月、独立後初めての大統領選挙、国政選挙が実施され、ヌヨマは76.3%の支持率で再選、SWAPOが最大議席を獲得した。1999年12月の大統領選挙でもヌヨマが当選し、3期目の大統領に就任した(1期目は議会での選出のため3選を禁ずる憲法の規定に違反しないと容認された)。2004年の大統領選ではヌヨマは憲法の規定にしたがい出馬せず、SWAPOの公認候補ポハンバHifikepunye Lucas Pohamba(1935― )が選出され、大統領に就任した。2009年の大統領選挙では、ポハンバが再選された。[藤岡悠一郎]

経済・産業

ナミビアの国内総生産(GDP)は94億ドル(名目GDP、2009)で、サブサハラ(サハラ砂漠以南)アフリカ諸国のなかで第19位、1人当りGDPは4512ドル(名目GDP、2009)で第7位であった。実質経済成長率は1990年代には平均3.9%、2000年代は4.5%であり、比較的安定した成長を続けている。ただし、富裕層と低所得層との格差は大きく、ジニ係数(社会における所得分配の不平等を計る指標)が61.3(2010年。世界銀行)と世界各国のなかでも高い。ナミビアの主要産業は鉱業、畜産業、水産業である。鉱産資源はダイヤモンド、ウラン、銅、亜鉛などで、種類も多く産出量も豊富である。1990年代には、鉱物生産量のなかでダイヤモンドの占める割合がもっとも大きかったが、2000年代からダイヤモンド以外の鉱物生産量が上回るようになった。とくにウランの年間産出高は4626トン(2009)と世界第4位を占め、ダイヤモンドの年間産出高は230万カラット(2009)と世界第8位を占めている。これらの鉱産物は南アフリカをはじめとする諸外国の多国籍企業によって採掘されている。オラニエムントのダイヤモンドは南アフリカ系デビアス社、レッシングのウランはイギリス系リオ・ティント・ジンク社が採掘している。
 農業は、国の中部・南部の灌漑(かんがい)設備を有する大規模農場と降雨に依存する北部の小規模農家によって行われる。おもな生産物は、換金作物であるトウモロコシ、ブドウ、ナツメヤシや自給用のトウジンビエ、マメ類である。畜産では、ウシと毛皮用ヒツジのカラクール種がおもに飼育される。ウシは大半が南アフリカに輸出される。ウォルビス湾を中心とするニシンとカタクチイワシの漁業が盛んであったが、外国遠洋漁業船団の進出によって漁獲量は減少し、政府は漁業資源保全につとめている。製造業は食品加工業や酒造業を中心に徐々に発達し、観光業も伸びている。
 通貨はナミビア・ドルで、ナミビア銀行(中央銀行)が発行している。民間の銀行にはファーストナショナル銀行、スタンダード銀行などがある。貿易上も南アフリカと密接な関係にあり、ボツワナ、レソト、スワジランドとともに南アフリカ関税同盟に加盟している。2012年の輸入総額の70%、輸出総額の16%が南アフリカとの取引であった。おもな輸出品はダイヤモンドとウランなどの鉱物、水産加工品、畜産物・家畜、精製亜鉛である。[藤岡悠一郎]

社会

ナミビアで最大の人口を有する民族は総人口の約50%を占めるオバンボであり、そのほかバントゥ系のグループであるヘレロ、ヒンバ、ブクシュ、スビヤやコイサン語族(コイン語族)のグループであるダマラ、ナマ、サンなどの民族が住んでいる。
 ナミビアは他の南アフリカ諸国(スワジランド、ボツワナ、南アフリカなど)とともにエイズ感染率が高く、成人(15~49歳)のエイズ感染率が21.3%(2003)に達する。
 公用語は英語で、アフリカーンス語、ドイツ語も広く通じる。独立後、初等教育に力点が置かれ、小学校数は1000校以上、ナミビア大学には1万3000人以上(2010)の学生がいる。識字率は89%(2012)。宗教は、キリスト教が広く普及し、90%がキリスト教徒とみられる。ドイツ植民地であったためルター派(ルーテル派教会)信者が多く、カトリックやオランダ改革派などの信者もみられる。主要都市は首都ウィントフーク、ウォルビス・ベイ、ツメブ、ケートマンスフープである。国内には総延長2341キロメートルの鉄道路線が敷かれ、南アフリカからケートマンスフープ、ウィントフーク、ツメブの銅鉱山地帯を通り、北部の都市オンダングワまで連なり、西はウォルビス・ベイやスワコプムントに延びている。[藤岡悠一郎]

日本との関係

1990年(平成2)3月21日の独立と同時に日本政府がナミビアを承認し、外交関係が始まった。2011年(平成23)時点で、円借款累計100億9100万円、無償資金協力は累計65億9900万円に上る。技術協力では、青年海外協力隊員の派遣が2006年から始まり、2013年度までに累計71人が派遣された。また、2011年3月の東日本大震災の際には、ナミビア政府から日本政府に100万ドルの義捐(ぎえん)金が寄付された。2009年のナミビアから日本への輸出額は40億円で、おもな輸出産品は生鮮魚介類などの水産物、亜鉛など。日本からの輸入額は9億円で、おもな輸入産品は自動車、機械などである。[藤岡悠一郎]
『バーチェット著、吉川勇一訳『立ち上る南部アフリカ』(1978・サイマル出版会) ▽水田慎一著『紛争後平和構築と民主主義』(2012・国際書院)』

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