共同通信ニュース用語解説 「ニウエ」の解説
ニウエ
ニュージーランドの北東2400キロの太平洋上にある島。面積は259平方キロメートル。首都はアロフィで、人口は約1500人。ニウエ語や英語を話す。英国女王を元首とする立憲君主制で、政府や一院制の議会がある。防衛と外交をニュージーランドが担っている。日本はニュージーランド自治領として、パレスチナや台湾と同様に「地域」と位置付けている。
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翻訳|Niue
ニュージーランドの北東2400キロの太平洋上にある島。面積は259平方キロメートル。首都はアロフィで、人口は約1500人。ニウエ語や英語を話す。英国女王を元首とする立憲君主制で、政府や一院制の議会がある。防衛と外交をニュージーランドが担っている。日本はニュージーランド自治領として、パレスチナや台湾と同様に「地域」と位置付けている。
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ニュージーランドの北東約2400キロメートル、トンガの東約480キロメートル、サモアの南東約560キロメートルにあるポリネシアの単島国家。グリニジ時より11時間遅い。国土面積260平方キロメートル(2023国連統計)、ほぼ楕円(だえん)形の島の周回道路は67キロメートルで、隆起サンゴ礁島としては世界でもっとも大きな島の一つに数えられる。国内人口は、バチカン市国に次いで少ない2000(2021。2023国連統計)である。ニウエが自由連合関係を結ぶニュージーランドには、国内人口よりもはるかに多い約3万人のニウエ人が住んでいる。
[小林 泉 2025年2月14日]
この島は、「ポリネシアの岩」とよばれることがある。切り立った岸壁や岩場が入り組む複雑な海岸線が続き、白い砂浜が多いほかのポリネシアの島とは異なる様相を呈しているからである。島は2層の台地状で、上の層は海抜60メートル超、下の層も海抜20メートルを超える高台になっている。首都は西海岸の平地部アロフィ村Alofiに置かれ、住民もこの地域に集中している。島のいたるところに洞窟(どうくつ)が口を開けており、それらのいくつもがいまだ調査されていない。島の南東部に広がるフバル森林Fuvaluには固有原種の木々が茂り、原生林保護区になっている。
熱帯海洋性気候であるが、南緯19度に位置するため、冬の時期にあたる6月から9月の一日平均気温は22~23℃まで下がり、かなり涼しい。11月から4月にかけては、雨の多い季節となる。その雨は、地中にしみ込んで石灰岩のフィルターを通り海に流れるため、島周辺の海は透明度が高く、数十メートル先まで見通せる。しかし、島内には恒常的な水源がないために、自給的農業以上の耕作には適していない。隆起サンゴ礁島であるため植生は豊かとはいえないが、人類入植後に開拓された原生林の跡地には各種灌木(かんぼく)類が、海岸部にはシダ類が繁茂している。
人種は、サモア人やトンガ人をルーツとするポリネシア系で、ニウエ語を話しているが、国民の教育は英語で行われ、宗教もほぼキリスト教のため、伝統文化などはことばとともにしだいに希薄になっている。1960年代には5000人超の居住者がいたが、ニュージーランドへの移住に歯止めがかからず、5年ごとに実施される国勢調査では人口が減り続け、空き家や耕作放棄地が目だつようになっている。
[小林 泉 2025年2月14日]
900年ころにサモアから、16世紀にはトンガから人々が移住してきたといわれている。1774年にイギリス人のジェームズ・クックが「発見」し、三度の上陸を試みたが島民に阻まれて失敗。そこでクックは、「野蛮人の島」と名づけた。その後も宣教師らによる上陸の試みが続いたが、成功には至らなかった。キリスト教布教が始まったのは1846年、ロンドン伝道協会がサモアに渡ってキリスト教に改宗していたニウエ人のペニアミナNukai Peniamina(?―1874)らの派遣に成功したときからであった。
当時のニウエ島内には10を超える部族がそれぞれの首長の下に並立していたが、マタイオ・トゥイティガMataio Tuitoga(?―1887)が1876年に初めて全島の政治的統一を実現して王制を打ち立てた。しかし、1900年にはイギリスの保護領になり、翌1901年にはクック諸島とともにニュージーランドの属領に組み入れられた。
ニウエ人による自治を近代政治制度の下で行うべく、1960年に議会が設立された。議会はニウエ憲法を制定し、それに基づいて1974年には完全なる自治権を獲得。同時に、クック諸島が先行してニュージーランドと結んでいた自由連合関係と同様な政治ステイタスへと移行した。
[小林 泉 2025年2月14日]
ニウエとニュージーランドとの自由連合とは、内政は自ら行うが、軍事や安全保障の実行権と外交権はニュージーランドにゆだねるというものである。また、ニウエ人はニュージーランド国籍を与えられており、往来は自由という関係である。ただし、ニュージーランド人は、自動的にニウエ市民にはなれない。なお、自由連合の名称の由来は、どちらか一方の申し出で関係を解消できる「自由」があることからきている。
ニウエの意思でも関係解消ができることから、潜在的主権はニウエにあるといえるが、安全保障実行権や外交権をほかにゆだねているかぎり、あくまで自治領であって国家ではないとするのが国際法上の一般的見方であった。したがって、国際連合(国連)メンバーにはなっていないが、関連機関の世界保健機関(WHO)、国連教育科学文化機関(UNESCO)、国連食糧農業機関(FAO)では正式メンバー、アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP(エスカップ))では準メンバーとして認知されている。
しかし1997年に中国が、同じく対ニュージーランド自由連合関係のクック諸島を国家承認して以降、ニウエもまた内政の延長線上の行為として外交活動に力を注ぎ始め、2007年12月には中国と外交関係を結んだ。これによりニウエを国家として承認する国が増え、日本も2015年(平成27)5月に国家承認をするに至り、13番目の外交関係樹立国となった。さらに、2023年9月にはアメリカも国家承認し、2024年時点でニウエと外交関係を結んでいる国は29か国となっている。
その結果、自由連合という政治的地位の実態が国家なのか自治領なのか、あいまいになっており、国連の加盟国を目ざすとの声も出てきている。
[小林 泉 2025年2月14日]
政体は立憲君主制で、イギリス国王が国家元首、ニュージーランド総督がニウエ総督を兼任して元首を代行している。行政は議院内閣制。一院制の議会で選出された首相が3名の閣僚を指名する。司法府としては、ニウエ高等裁判所、ニュージーランド最高裁判所がその役割を果たしている。3年ごとの総選挙では、議員総数20議席のうち、14ある村が各1議席を有し、6議席は全島から選出される。選挙権は3か月以上にわたりニウエに居住する18歳以上の国民に与えられる。
憲法によれば、軍事・外交は国家元首がつかさどる。また、自由連合協定においてもニュージーランドにその一部主権をゆだねることになっているが、前述のとおり、ニウエ独自の外交活動の範囲が徐々に広がっており、ニュージーランド政府もまたこれを容認している。
[小林 泉 2025年2月14日]
自給レベルの農業・漁業はほとんどなくなり、タロイモ、バニラ、ノニ(アカネ科の常緑灌木)の果実を絞ったジュースなどの農産物、そして魚を若干輸出している程度である。ニュージーランドの支援を受けて、きれいな海と特異な地形を生かした観光業の開発に取り組んでおり、年間観光客数は新型コロナウイルス感染症(COVID(コビッド)-19)の流行直前には1万人に達した。感染症の流行が落ち着いてからは8000人程度だが、観光局は2万人ほどにまで発展させたいとしている。2024年時点では、オークランドから週2便の直行便が運航されており、これが空路での唯一の交通手段である。
そのほか国内に目だった産業は見当たらないが、1人当り国内総生産(GDP)は2万2595ニュージーランド・ドル(2021アジア開発銀行)と比較的高い水準である。これは、主としてニュージーランドからの財政援助と海外に居住するニウエ人からの送金による。ニュージーランドには約3万人(2018年国勢調査)、オーストラリアには約6000人(2021年国勢調査)と、両国には本国の人口をはるかにしのぐニウエ人が住んでいる。
英語による初等・中等教育が充実しているため、国民の識字率はほぼ100%である。高等教育機関は国内にはなく、進学を希望する者は、フィジーにある南太平洋大学やニュージーランドの大学に進学する。これらがニュージーランドへの人口流出の原因でもある。政府は、島内に産業を誘致することが人口減に歯止めをかける方策であるとして、近隣諸国に協力を呼びかけている。
[小林 泉 2025年2月14日]
自治領であるため、日本とニウエの公式交流はなかったが、日本が3年ごとに主催する太平洋・島サミットには、太平洋諸島フォーラム(PIF)の正式メンバーとして毎回ニウエの首相を招待した。2009年の第5回サミットの開催時には、PIF議長であったニウエの首相タランギToke Tufukia Talagi(1951―2020)が日本の首相麻生太郎(あそうたろう)とともに共同議長を務めた。2015年5月の日本政府によるニウエの国家承認は、こうした交流の実績を踏まえたものである。
外交関係の樹立により、在ニュージーランド日本大使がニウエを兼轄している。また、2024年(令和6)7月、東京都目黒区に置かれる一般社団法人日本ニウエ友好協会が、ニウエ名誉領事館として認められた。外交関係樹立以前はできなかった日本からの政府開発援助(ODA)は、2022年までの累計で6億1900万円。これまで日本人観光客の訪問がほとんどない島だったが、2010年ごろに日本人が飲食店を開業し、地元の人気店になった。
[小林 泉 2025年2月14日]
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(2014-10-15)
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