ニューマン(英語表記)Newman, Barnett

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ニューマン
Newman, Barnett

[生]1905.1.29. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]1970.7.3. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の抽象表現主義の画家。本名 Baruch Newman。カラー=フィールド・ペインティングの代表的作家。アート・スチューデンツ・リーグとニューヨーク市立大学,コーネル大学に学ぶ。サスカチュワン大学,ペンシルバニア大学で教えた。1950年ニューヨークで最初の個展。1948年にマーク・ロスコ,ロバート・マザーウェルとともに「芸術家の主題」と呼ばれる美術学校を設立。巨大な画面を少ない色数で地と図の区別なく塗り込めた画面が特徴。主要作品『十字架の道行き』シリーズ。(→現代美術

ニューマン
Newman, John Henry

[生]1801.2.21. ロンドン
[没]1890.8.11. バーミンガム
イギリス国教会のオックスフォード運動指導者。オックスフォードのトリニティ学寮に学んだ。母校の教職を経て,1828~43年聖マリア教会牧師,J.キーブルらの影響で高教会派となった。 33年オックスフォード運動が始ると機関紙を編集,みずから 24のトラクトを執筆,運動に指導的役割を果したが次第に孤立,のちローマ・カトリック教会のみを真正として同教会に改宗,79年枢機卿となった。詩人でもあり,宗教詩集がある。著書『アポロギア』 Apologia pro vita sua (64) ,『グラマー・オブ・アセント』 An Essay in Aid of a Grammar of Assent (70) 。

ニューマン
Newman, William H.

[生]1909.10.19. フィラデルフィア
[没]2002
アメリカの経営学者。 1930年フレンド大学卒業,1934年シカゴ大学で博士号を取得。その後企業に勤務したが,独立して 1936~38年経営コンサルタント,1939年ペンシルバニア大学教授,1949年コロンビア大学経営学研究科教授。この間いくつかの会社の役員を務めたほか,第2次世界大戦中は陸軍省で軍需産業の管理にあたった。 American Management Association,Society for Advancement of Management,Academy of Managementなどの会員で,アメリカ経営学会においても指導的役割を果した。彼の学説は「管理者管理範囲説」として知られる。すなわち管理職位の層が上級になればなるほど計画に要する時間がふえるので,管理の範囲は小さくなるというもの。主著『経営方針』 Business Policies and Management (1940) ,『経営管理』 Administrative Action (1951) ,『発展する企業の経営管理』 Management of Expanding Enterprises (1955) ,『経営学の過程』 The Process of Management (1961,C. E.サマー Jr.と共著) 。

ニューマン
Newman

オーストラリア,ウェスタンオーストラリア州北西部,ピルバラ地方の鉄鉱石鉱山町の一つ。ポートヘドランドの南 456km,パースの北東 1177kmにあり,ポートヘドランドとの間に鉄鉱石専用鉄道 (426km) がある。鉄鉱石開発に伴い 1969年に建設された。ポートヘドランドを通じておもに日本へ鉄鉱石を輸出する。人口 4899 (1986) 。

ニューマン
Newman, Paul

[生]1925.1.26. オハイオ,クリーブランド
[没]2008.9.26. コネティカット,ウェストポート
アメリカ合衆国の映画俳優。カリスマ性のある二枚目俳優として,20世紀後半を通じて第一線で活躍した。第2次世界大戦に海軍の通信兵として従軍,除隊後オハイオ州のケニヨン大学で学ぶ。その後,エール大学の大学院で 1年間演劇を勉強したが,ニューヨークのアクターズ・スタジオでより多くのことを学んだ。ブロードウェーの初舞台『ピクニック』Picnic(1953)が評価され,ワーナー・ブラザーズと専属契約を交わす。ボクシングの世界チャンピオン,ロッキー・グラジアノの伝記映画『傷だらけの栄光』Somebody Up There Likes Me(1956)で称賛を浴び,俳優としての地位を確立。『熱いトタン屋根の猫』Cat on a Hot Tin Roof(1958)で初めてアカデミー賞主演男優賞候補となった。『ハスラー』Hustler(1961)では,おそらく生涯最高の役である賭けビリヤードのプロを好演。ロバート・レッドフォード,ジョージ・ロイ・ヒル監督と組んだ『明日に向って撃て!』Butch Cassidy and the Sundance Kid(1969),『スティング』The Sting(1973,アカデミー賞作品賞)は大ヒットした。計 6回のノミネートと名誉賞の受賞を経たのち,マーティン・スコセッシ監督の『ハスラー 2』The Color of Money(1986)でついにアカデミー賞主演男優賞を獲得した。監督としても活躍し,2人目の妻で女優のジョアン・ウッドワードをたびたび主役に起用。監督第一作の『レーチェル レーチェル』Rachel, Rachel(1968)は,アカデミー賞作品賞候補となった。1982年に食品会社を設立,利益をさまざまな慈善活動に寄付した。

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デジタル大辞泉の解説

ニューマン(John Henry Newman)

[1801~1890]英国の神学者英国国教会の牧師からカトリックに改宗、枢機卿となる。万人哲学や神学を知らなくても信仰に至ることができると説いた。著「アポロギア」。

ニューマン(Newman)

オーストラリア、西オーストラリア州中西部の鉱業都市。ピルバラ地方東部の中心地。1960年代よりマウントニューマンの鉄鉱採掘に伴って建設。港湾都市ポートヘッドランドと鉄道で結ばれる。

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百科事典マイペディアの解説

ニューマン

米国の画家。ニューヨーク生れ。有機的で抽象的な形態によるドローイングを制作していたが,形態的要素を純化していき,1948年頃に,画面中央を線条の縞が垂直に1本走る抽象絵画に到達する。色面と〈ジップ〉と呼ばれる線条の帯で巨大な画面を構成する作風は,彼が追求する崇高という概念を場の拡がりとして実現するものであった。代表作に《英雄的にして崇高なる人》(1950年―1951年,ニューヨーク近代美術館蔵)などがある。→抽象表現主義カラー・フィールド・ペインティング
→関連項目スティル

ニューマン

英国のカトリック神学者,詩人。初め英国国教会聖職者であったが,オックスフォード運動を指導,のちカトリックに改宗,枢機卿となる。説教家,教育者としても卓越し,チェスタートン,E.ウォーらの〈カトリック文芸復興〉の立役者でもあった。著書《キリスト教教義の発展》(1845年),《弁明》(1864年)など。

ニューマン

米国の俳優。オハイオ州生れ。スポーツ選手から演劇に転じ,イェール大を経てアクターズ・スチュディオで学ぶ。同時期にジェームス・ディーン,マーロン・ブランドがいる。《銀の盃》(1954年)で映画デビュー。主な出演作に《傷だらけの栄光》(1956年),T.ウィリアムズ原作の《熱いトタン屋根の猫》(1958年),《ハスラー》(1961年),《引き裂かれたカーテン》(1966年),《暴力脱獄》(1967年)などがあるほか,〈アメリカン・ニュー・シネマ〉の代表的作品《明日に向って撃て!》(1969年)や1936年のシカゴを舞台にした《スティング》(1973年)で,ロバート・レッドフォードとともに個性的な演技で多くのファンを獲得した(両作品ともジョージ・ロイ・ヒル監督)。ほかに《タワーリング・インフェルノ》(1974年),《評決》(1982年)などがある。M.スコセッシ監督《ハスラー2》(1986年)でアカデミー主演男優賞を受賞。

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世界大百科事典 第2版の解説

ニューマン【John Henry Newman】

1801‐90
イギリスのカトリック神学者,枢機卿。オックスフォード大学で学び,英国国教会の聖職者になるが,R.H.フルード,J.キーブルらとの親交によってカトリックに近い高教会派になり,オックスフォード運動を指導,《時局双書》を主宰する。その90号(1841)が国教会内にまき起こした波紋を契機にカトリックに改宗(1845),ローマに行き司祭に任じられた。みずからも詩・小説を書くなど多才であったが,帰国後,文学史上の〈カトリック復興〉に刺激を与え,G.M.ホプキンズ,C.K.D.パトモア,F.トムソン,G.K.チェスタートン,J.H.P.ベロック,E.ウォー,G.グリーンら改宗者の文学活動の礎を築いた。

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大辞林 第三版の解説

ニューマン【Newman】

〔Barnett N.〕 (1905~1970) アメリカの画家。抽象表現主義を代表する一人。人間の尺度を越えた「崇高性」を唱えた。代表作に、巨大な色面を細い色帯(ジップ)が垂直に走る「英雄的にして崇高なる人」がある。
〔John Henry N.〕 (1801~1890) イギリスの神学者。オックスフォード大学で学び母校のイギリス国教会司祭となる。オックスフォード運動を指導。1845年カトリック教会に転じた。著「アポロギア」など。

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精選版 日本国語大辞典の解説

ニューマン

(John Henry Newman ジョン=ヘンリー━) イギリスの神学者。英国教会の司祭、大学説教師として国教会の中道性を説き、教会の権威の回復をめざすオックスフォード運動を指導したが、一八四五年にカトリックに改宗。のち枢機卿。著に「アポロギア」「キリスト教教理発展論」など。(一八〇一‐九〇

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世界大百科事典内のニューマンの言及

【オックスフォード運動】より

…当時の国教会は規律の弛緩,神学上のリベラリズムの影響,カトリック教会の勢力強化などにより危機的状態にあったが,キーブルJohn Keble(1792‐1866)のオックスフォードにおける〈国民的背教〉と題する説教(1833年7月14日)をきっかけとして英国国教会を17世紀の国教会神学者たちのかかげる高教会の理想に従って改革再建する運動がおこった。この運動の中心的指導者はキーブル,J.H.ニューマン,ピュージーEdward B.Pusey(1800‐82)で,《時局小冊子Tracts for the Times》(1833年ニューマンによって始められる)という文書活動によって推進された。それゆえオックスフォード運動は〈トラクト運動Tractarian Movement〉ともいわれた。…

【高教会】より

…17世紀に入るとアンドルーズLancelot Andrewes,ロードWilliam Laudらがピューリタンに対して教会のカトリック性を強調し,ロードがピューリタン革命で処刑されたこともあって,王政復古時には高教会派が主導権を得た。名誉革命後,ウィリアム3世への臣従を拒否したものが高教会派に多かったため,教会と国家の首脳部が低教会派を優遇する時代が続いたが,キーブルJohn Keble,ピュージーEdward Bouverie Pusey,J.H.ニューマンらのオックスフォード運動によって,高教会派はふたたび活気づけられ,以後アングリカン・チャーチ内の一大勢力として今日に至っている。高教会派のなかでよりカトリック的な立場はアングロ・カトリック主義と呼ばれ,16世紀の宗教改革者らの貢献を否定し,礼拝・信仰生活面でカトリック的慣行を大幅に復活させたため,低教会派の厳しい批判を受けた。…

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