コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ニューマン ニューマンNewman, Barnett

12件 の用語解説(ニューマンの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ニューマン
ニューマン
Newman, Barnett

[生]1905.1.29. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]1970.7.3. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国抽象表現主義の画家。本名 Baruch Newman。カラー=フィールド・ペインティングの代表的作家。アート・スチューデンツ・リーグとニューヨーク市立大学コーネル大学に学ぶ。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

ニューマン
ニューマン
Newman, John Henry

[生]1801.2.21. ロンドン
[没]1890.8.11. バーミンガム
イギリス国教会オックスフォード運動指導者。オックスフォードトリニティ学寮に学んだ。母校の教職を経て,1828~43年聖マリア教会牧師,J.キーブルらの影響で高教会派となった。 33年オックスフォード運動が始ると機関紙を編集,みずから 24のトラクトを執筆,運動に指導的役割を果したが次第に孤立,のちローマカトリック教会のみを真正として同教会に改宗,79年枢機卿となった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

ニューマン
ニューマン
Newman, William H.

[生]1909.10.19. フィラデルフィア
[没]2002
アメリカの経営学者。 1930年フレンド大学卒業,1934年シカゴ大学で博士号を取得。その後企業に勤務したが,独立して 1936~38年経営コンサルタント,1939年ペンシルバニア大学教授,1949年コロンビア大学経営学研究科教授。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

ニューマン
ニューマン
Newman

オーストラリア,ウェスタンオーストラリア州北西部,ピルバラ地方の鉄鉱石鉱山町の一つ。ポートヘドランドの南 456km,パースの北東 1177kmにあり,ポートヘドランドとの間に鉄鉱石専用鉄道 (426km) がある。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

ニューマン
ニューマン
Newman, Paul

[生]1925.1.26. オハイオクリーブランド
[没]2008.9.26. コネティカットウェストポート
アメリカ合衆国の映画俳優カリスマ性のある二枚目俳優として,20世紀後半を通じて第一線で活躍した。第2次世界大戦に海軍の通信兵として従軍,除隊後オハイオ州ケニヨン大学で学ぶ。その後,エール大学大学院で 1年間演劇を勉強したが,ニューヨークのアクターズ・スタジオでより多くのことを学んだ。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

ニューマン(John Henry Newman)

[1801~1890]英国の神学者。英国国教会の牧師からカトリックに改宗、枢機卿となる。万人が哲学や神学を知らなくても信仰に至ることができると説いた。著「アポロギア」。

ニューマン(Newman)

オーストラリア、西オーストラリア州中西部の鉱業都市。ピルバラ地方東部の中心地。1960年代よりマウントニューマンの鉄鉱採掘に伴って建設。港湾都市ポートヘッドランドと鉄道で結ばれる

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

ニューマン

米国の画家。ニューヨーク生れ。有機的で抽象的な形態によるドローイングを制作していたが,形態的要素を純化していき,1948年頃に,画面中央を線条の縞が垂直に1本走る抽象絵画に到達する。
→関連項目スティル

ニューマン

英国のカトリック神学者,詩人。初め英国国教会聖職者であったが,オックスフォード運動を指導,のちカトリックに改宗,枢機卿となる。説教家,教育者としても卓越し,チェスタートン,E.ウォーらの〈カトリック文芸復興〉の立役者でもあった。

ニューマン

米国の俳優。オハイオ州生れ。スポーツ選手から演劇に転じ,イェール大を経てアクターズ・スチュディオで学ぶ。同時期にジェームスディーン,マーロン・ブランドがいる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ニューマン【John Henry Newman】

1801‐90
イギリスのカトリック神学者,枢機卿。オックスフォード大学で学び,英国国教会の聖職者になるが,R.H.フルード,J.キーブルらとの親交によってカトリックに近い高教会派になり,オックスフォード運動を指導,《時局双書》を主宰する。その90号(1841)が国教会内にまき起こした波紋を契機にカトリックに改宗(1845),ローマに行き司祭に任じられた。みずからも詩・小説を書くなど多才であったが,帰国後,文学史上の〈カトリック復興〉に刺激を与え,G.M.ホプキンズ,C.K.D.パトモア,F.トムソン,G.K.チェスタートン,J.H.P.ベロック,E.ウォー,G.グリーンら改宗者の文学活動の礎を築いた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

ニューマン【Newman】

〔Barnett N.〕 (1905~1970) アメリカの画家。抽象表現主義を代表する一人。人間の尺度を越えた「崇高性」を唱えた。代表作に、巨大な色面を細い色帯(ジップ)が垂直に走る「英雄的にして崇高なる人」がある。
〔John Henry N.〕 (1801~1890) イギリスの神学者。オックスフォード大学で学び母校のイギリス国教会司祭となる。オックスフォード運動を指導。1845年カトリック教会に転じた。著「アポロギア」など。

出典|三省堂
大辞林 第三版について | 情報

世界大百科事典内のニューマンの言及

【オックスフォード運動】より

…当時の国教会は規律の弛緩,神学上のリベラリズムの影響,カトリック教会の勢力強化などにより危機的状態にあったが,キーブルJohn Keble(1792‐1866)のオックスフォードにおける〈国民的背教〉と題する説教(1833年7月14日)をきっかけとして英国国教会を17世紀の国教会神学者たちのかかげる高教会の理想に従って改革再建する運動がおこった。この運動の中心的指導者はキーブル,J.H.ニューマン,ピュージーEdward B.Pusey(1800‐82)で,《時局小冊子Tracts for the Times》(1833年ニューマンによって始められる)という文書活動によって推進された。それゆえオックスフォード運動は〈トラクト運動Tractarian Movement〉ともいわれた。…

【高教会】より

…17世紀に入るとアンドルーズLancelot Andrewes,ロードWilliam Laudらがピューリタンに対して教会のカトリック性を強調し,ロードがピューリタン革命で処刑されたこともあって,王政復古時には高教会派が主導権を得た。名誉革命後,ウィリアム3世への臣従を拒否したものが高教会派に多かったため,教会と国家の首脳部が低教会派を優遇する時代が続いたが,キーブルJohn Keble,ピュージーEdward Bouverie Pusey,J.H.ニューマンらのオックスフォード運動によって,高教会派はふたたび活気づけられ,以後アングリカン・チャーチ内の一大勢力として今日に至っている。高教会派のなかでよりカトリック的な立場はアングロ・カトリック主義と呼ばれ,16世紀の宗教改革者らの貢献を否定し,礼拝・信仰生活面でカトリック的慣行を大幅に復活させたため,低教会派の厳しい批判を受けた。…

※「ニューマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

ニューマンの関連キーワード竹島(韓国名・独島)問題直言イタリア映画韓国統監府竹島問題クイーンイスクライラン立憲革命エラリー・クイーンシュリーフェン

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone

ニューマンの関連情報