ネブカドネザル(読み)ねぶかどねざる

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ネブカドネザル」の意味・わかりやすい解説

ネブカドネザル(2世)
ねぶかどねざる
Nabû-kudurri-uur Ⅱ
(?―前562)

バビロニア王国の王(在位前605~前562)。彼は紀元前605年、皇太子として軍を率い、カルケミシュの戦いでエジプトを大破した。その直後、新バビロニアの創始者である父王ナボポラサルの意志を継いで即位したのだが、その後の彼の軍事行動について彼自身はなんの記録も残していない。ただし、『旧約聖書』とギリシア人による記録から、前598年にユダ王国を服属せしめ、さらに前587年にはなおも反抗するユダを攻撃し、エルサレムを陥落させて多くの民を捕囚に拉致(らち)したこと(バビロン捕囚)、またそれと並んで、フェニキア人の町ティルス(ツロ)を長期にわたる包囲のすえに征服したことが知られている。

 しかし彼は全体として軍事による領土拡張政策はとらず、国の防衛を確保したうえで(たとえばティグリス川からユーフラテス川に至る対メディア防壁)、むしろ文化振興政策を促進させた。たとえば首都バビロンに、91メートルにも及ぶ塔を中心とした壮大なマルドゥク(バビロンの主神)神殿を建立し、通りは釉薬(ゆうやく)をかけた焼成れんがが種々に飾られていた。また諸都市を整備し、灌漑(かんがい)設備を整えて農業生産性を高め、種々の交易を促進させ、バビロニアを当時のオリエント世界随一の豊かな国にした。彼の個人的ひととなりについて多くは知られていない。しかし、自ら名声宣揚よりも神々の力の賛美を心がけた彼が宗教心あふれる王であったことは疑いない。なお、『旧約聖書』「ダニエル書」に描かれるネブカドネザルの姿には、歴史的にみれば、バビロニア最後の王ナボニドゥスとの混同がある。

[月本昭男]


ネブカドネザル(1世)
ねぶかどねざる
Nabû-kudurri-uur Ⅰ
(?―前1103)

古代バビロニアの王(在位前1124~前1103)。この時期のバビロニアはイシン第二王朝期とよばれ、北方の中期アッシリア王国と東方のエラムに挟まれ、外患の絶えない時代であったが、王は逆にアッシリアを攻撃してメソポタミアを制圧し、二度にわたってエラムに遠征した。とりわけ戦車隊によるエラム遠征では華々しい成果を収め、数多くの戦利品をバビロニアにもたらした。そのなかには、エラムに奪われていたバビロニアの主神であるマルドゥクの神像が含まれており、この主神の「帰還」を契機に、バビロニアにおいてマルドゥク崇拝が復興した。このような王の事績は、王の碑文のみならず、文学化されて「ネブカドネザル1世叙事詩」として後代に伝えられもした。

[月本昭男]

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百科事典マイペディア 「ネブカドネザル」の意味・わかりやすい解説

ネブカドネザル[2世]【ネブカドネザル】

新バビロニア王(在位前604年―前562年)。ナボポラッサルの子。シリア,パレスティナを征服,バビロン捕囚を行い,首都バビロンを復興,現在の遺跡の大半は彼の建設にかかる。
→関連項目エルサレム神殿カルデア人

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