改訂新版 世界大百科事典 「ナボポラッサル」の意味・わかりやすい解説
ナボポラッサル
Nabopolassar
新バビロニアの王。在位,前625-前605年。正確にはナブー・アプラ・ウスルNabū-apla-uṣur。カルデア人ヤキン族の出身。アッシリアの宗主権下で海国の首長の地位にあったが,同帝国最後の英王アッシュールバニパルとバビロンにおけるその傀儡(かいらい)であったカンダラーヌKandalanuの死後1年を経てバビロンの王位に就き,新バビロニア王朝(カルデア王朝)を建設した。即位後の10年近くはアッシリアの執拗な反撃に耐えて,もっぱら政権の維持・確立に努めたが,治世10年ころからは攻勢に転じ,毎年のごとくティグリス川沿いあるいはユーフラテス川沿いにアッシリア遠征を行った。メディアがバビロンと時を同じくしてアッシリア侵攻を開始,前614年にはアッシュールの町を陥落させた。この年ナボポラッサルはメディア王キュアクサレスと同盟を結び,皇太子ネブカドネザル(後のネブカドネザル2世)とキュアクサレスの娘アミティスとの結婚によりこれをいっそう強化した。前612年にメディア(ウンマンマンダ)と共同でアッシリアの首都ニネベを陥落させた。アッシリア帝国の残党はハランに逃亡し,アッシュールウバリト2世を王に立てて政権を維持したため,この後のバビロン軍の遠征はユーフラテス川流域に集中した。この遠征は必然的にシリア・パレスティナをその勢力範囲とするエジプトとの衝突を引き起こすことになった。なかでも治世最後の年にその皇太子ネブカドネザルが率いる軍とエジプト軍の間で戦われたカルケミシュの戦(前605)は有名で,ネコ2世の率いるエジプト軍は大敗を喫した。旧約聖書《列王紀》下24章7節はこの戦いに言及しているものと考えられる。こうしてナボポラッサルは次王ネブカドネザル2世治下の繁栄の基礎を築いた。
→新バビロニア
執筆者:中田 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報