新バビロニア(読み)しんバビロニア

精選版 日本国語大辞典 「新バビロニア」の意味・読み・例文・類語

しん‐バビロニア【新バビロニア】

  1. ( Neo-Babylonia ) ⇒カルデアおうこく(━王国)

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改訂新版 世界大百科事典 「新バビロニア」の意味・わかりやすい解説

新バビロニア (しんバビロニア)

カルデア人によって開かれた古代オリエントの王朝。前625-前539年。カルデア王朝ともいう。カルデア人は前8世紀までに南バビロニア一帯に部族に分かれて定着し,名目的にはバビロン王に臣従していた。しかしティグラトピレセル3世以降のアッシリアは強く,バビロンはその属国としてアッシリアの直接・間接の支配を受けた。この間バビロンがアッシリアに完全に吸収されることなくその伝統を保ち,新バビロニア時代に史上最大の栄華をみることができたのはカルデア人のおかげであった。この王朝はナボポラッサルにより創設され,これを継いだネブカドネザル2世によって前648年の戦乱により完全に破壊されたバビロンが再建された。この新しいバビロンの偉容は後のギリシアの旅行家や歴史家の驚嘆の的となった。その後アメルマルドゥク(在位,前561-前560),ネリグリシャル(在位,前559-前556),ラバシマルドゥク(在位,前556)と6年間に3度も王の交代があった後,王朝最後の王ナボニドスの時代になる。ナボニドスは宗教・経済両面からバビロンを立て直そうと試みるが,結局ペルシア王キュロス2世によって王位を奪われてしまった。新バビロニアが短命に終わった原因は,常備軍によるたび重なる長期遠征や,ナボポラッサルとネブカドネザルによる大規模な建設事業による国富浪費,ナボニドスの宗教政策などにあったと考えられる。
バビロニア
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「新バビロニア」の解説

新バビロニア(しんバビロニア)
Neo-Babylonia

前625~前539

アラム人の一派カルデア人バビロニアに建てた王国ナボポラッサルは前625年アッシリアから独立し,メディアリュディアと連合してアッシリアを滅ぼした。ネブカドネザル2世エジプトのネコを破り,前587ないし前586年にはイェルサレムを破壊してユダヤ人バビロン捕囚を行った。またバビロンに吊り庭のある王宮や,ジッグラトがそびえる主神マルドゥク神殿を建てた。最後の王ナボニドスは月神シンを崇拝し,バビロンの神官反感をかった。前539年バビロンはキュロス2世のペルシア軍により占領され,この王朝は滅亡した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新バビロニア」の意味・わかりやすい解説

新バビロニア
しんバビロニア
Neo-Babylonia

カルデア人 (バビロニア人) がアッシリア帝国を滅ぼして再建した帝国 (前 625~539) 。アッシリア王アッシュールバニパル死後ナボポラッサル (在位前 626~605) がバビロニアを掌握し,メディア王国と結んでニネベを陥落させた (前 612) 。続いてネブカドネザル2世 (在位前 605~562) はカルケミシュの戦いでエジプト王ネコ2世を破り,シリア,パレスチナを通ってエジプト国境にいたる領域を支配した。また前 586年にはエルサレムを破壊,ユダヤ民族のバビロニア捕囚を行なった。この時代に占星術,天文学をはじめとするカルデア文化がバビロンを中心として開花した。しかしナボニドス王 (在位前 556~539) のとき,アケメネス朝ペルシアの王キュロス2世の率いるペルシア軍は戦わずしてバビロンに入城 (前 539) ,新バビロニア帝国は滅亡した。

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百科事典マイペディア 「新バビロニア」の意味・わかりやすい解説

新バビロニア【しんバビロニア】

カルデアのナボポラッサルが前625年に開いた王朝。次王ネブカドネザル2世はエジプトを討ち,エルサレムを破壊して住民を首都バビロンに移し(バビロン捕囚),王国最盛期をもたらした。ナボニドスの治世に至り,前539年ペルシアに滅ぼされた。
→関連項目カルデア人キュロス[2世]

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世界大百科事典(旧版)内の新バビロニアの言及

【カルデア人】より

…カルデア人は軍事的には強くなかったが,ナツメヤシの生産やペルシア湾貿易のおかげで経済的には豊かであった。宿敵であったアッシリア帝国が滅びた後,カルデア人ナボポラッサルによって新バビロニア王国(カルデア王朝)が建てられ(前625),ネブカドネザル2世の治世に最も繁栄し,当時のバビロンは世界の七不思議の一つに数えられた。イスラエルの民のバビロン捕囚もこの王の治世中のことであった。…

【ナボポラッサル】より

…新バビロニアの王。在位,前625‐前605年。…

【バビロニア】より

…この期間の前半は,中部および北部メソポタミアを勢力下においたアラム人によりバビロニアと西方および北方との交易路が完全に閉ざされたこと,および中央政権の弱体化と反比例して特権都市を中心とした地方分立化の傾向が増したことなど,また後半は新アッシリアの台頭によってバビロニアの存在が常に危機にさらされていたこと,などがバビロニアの政治的・経済的疲弊の主たる原因といえる。しかしこの間に,バビロニアの政治と文化の担い手が,カッシート人からカルデア人に交代し,バビロニア史最後の栄光である新バビロニア帝国誕生の準備がなされていたことを忘れるわけにはいかない。
[新バビロニア帝国時代]
 前8世紀半ばころから前7世紀半ばにかけての新アッシリア帝国全盛時代に,バビロニアはアッシリアの直接・間接の支配を受けたが,カルデア人たちはこの間反アッシリア運動の先頭に立ち,ついに前625年ナボポラッサルによりカルデア人自身の王朝が打ち建てられた。…

【メソポタミア】より

… 一方イラン高原では前670年ころメディア人諸部族が統一され,しだいにエクバタナ(現,ハマダーン)を中心に強盛となった。またカルデア人のナボポラッサルは前625年にバビロンに入城し,カルデア王朝(新バビロニア)を樹立している。アッシリアの首都ニネベはメディア,新バビロニア連合軍によって前612年に破壊され,ここにアッシリア帝国は事実上滅亡した。…

※「新バビロニア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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