ハイレセラシエ

精選版 日本国語大辞典 「ハイレセラシエ」の意味・読み・例文・類語

ハイレ‐セラシエ

(Haile Selassie) エチオピア皇帝。一九三〇年即位。イタリア侵略により、三六年イギリスへ亡命。四一年帰国。七四年軍事クーデター廃位される。(一八九二‐一九七五

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デジタル大辞泉 「ハイレセラシエ」の意味・読み・例文・類語

ハイレ‐セラシエ(Haile Selassie)

[1892~1975]エチオピア皇帝。1930年即位。1936年、イタリアの侵略により英国に亡命。1941年に帰国、復位したが1974年のクーデターで廃位された。

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改訂新版 世界大百科事典 「ハイレセラシエ」の意味・わかりやすい解説

ハイレ・セラシエ
Haile Selassie
生没年:1892-1975

エチオピアの皇帝。在位1930-74年。即位前の名はラス・タファリ・マコンネン。ハイレ・セラシエとは〈三位一体の力〉の意。メネリク2世のいとこマコンネンの息子で,1913年にメネリク2世が死去した時にはすでに実力者となっていたが,16年のクーデタで実権を握った。摂政を経て30年に皇帝となり,36-41年のイタリア占領期に亡命したのを除いて74年まで長期にわたる独裁的支配を続けた。この間,一方では西欧化策をとったが,他方では土地貴族や教会などの保守的支配層を保護する政策を続けた。74年2月の軍事クーデタに続いて全国民的な反帝政闘争が起き,同年9月,皇帝を廃位させられ,翌年8月に病死した。外交面ではアフリカ統一機構(OAU)の設立に尽力したり,ナイジェリア内戦(1967-70)やスーダン内戦(1972)などの解決に努力したが,エリトリア問題,ソマリア問題などエチオピアが直接に利害関係のある問題では〈エチオピア第一主義〉の立場に立った。
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世界大百科事典(旧版)内のハイレセラシエの言及

【エチオピア】より

… アムハラ族はエチオピアの支配層でもあって,誇り高い人々である。彼らはアクスム王国の子孫であり,故ハイレ・セラシエ皇帝はソロモン王とシバの女王の子孫と主張した。彼らは選ばれた民として4世紀にはキリスト教を受容した。…

※「ハイレセラシエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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