イギリス・ロマン主義時代を代表する批評家,エッセイスト。非国教会派の牧師の息子で,はじめ画家を志したがコールリジ,ラムらの文人との交友を通じて文学の道に進み,1810年代から20年代にかけて主として自由主義的な《エジンバラ・レビュー》《エグザミナー》誌によって活躍,保守的・古典主義的な《クオータリー・レビュー》の論敵であった。彼は個性の強い一人一党的な性格の持主であり,バイロンやシェリーを低く評価するなど必ずしも一貫してロマン派を擁護する論陣を張ったわけではないが,文学において活力gustoを何よりも重んじ,またみずからの評論でも冷静な理論より即時の感興にまかせて筆を進める傾向など,全体としてロマン主義的な自我と感情の解放の立場をとった。彼の主観的・主情的な人物論と文学論の系譜にはド・クインシーやJ.H.L.ハントらがおり,19世紀後半のW.ペーターの〈印象主義〉につながっている。またシェークスピアは定まった個性体を持っていないという無個性論はキーツに強い影響を与えた。代表作としては《シェークスピア戯曲の性格について》(1817),《イギリス詩人論》(1818),《イギリス喜劇作家論》(1819),《エリザベス時代演劇論》(1820)などの連続講演があり,《円卓》(1817),《座談》(1821-22),《時代の精神》(1825)などに収められたエッセーのなかには,生き生きとした思想感情の横溢する傑作が含まれている。
執筆者:海老根 宏
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イギリスの批評家、随筆家。自由主義的傾向の強いユニテリアン派の牧師を父とし、初め聖職者、ついで画家を志したが、コールリッジ、ワーズワース、ラムとの交友から文学の道に進んだ。彼の作品は美術・演劇に関するもの、随筆の類、文学批評の3種に大別されるが、なかでも『シェークスピア劇の登場人物』(1817)、『エリザベス朝劇文学研究』(1820)などによって名声を得た。人物や人生を画家の鋭い視点から眺めた身辺雑記的小品にも捨てがたい味わいがあり、それらは『円卓』(1817)その他に収められている。イギリスで批評・雑文によって生計をたてた最初の作家であるといわれる。
[前川祐一]
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…ロマン主義批評は《シェークスピアの悲劇》(1904)の著者A.C.ブラッドリーによって集大成された。また,19世紀のシェークスピア批評は,W.ハズリットに代表されるいわゆる性格批評がその中心をなし,劇中人物の心理と行動原理が追究された。20世紀に入ると,こうした傾向に対する反動が強まり,一方においてアメリカのE.E.ストールやドイツのL.L.シュッキングらの歴史的実証主義に基づく研究,他方においてニュー・クリティシズムの一派による作品の詩的言語構造の精緻な分析に頼る批評が盛んになった。…
※「ハズリット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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