コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ハーロー Harlow, Harry Frederick

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハーロー
Harlow, Harry Frederick

[生]1905.10.31. アイオワ,フェアフィールド
[没]1981.12.6.
アメリカの心理学者。ウィスコンシン大学教授。学習と動機づけの研究,特に霊長類の心理学的研究で指導的位置にある。主著"The Maternal Affectional System" (1963) 。

ハーロー
Harlow

イギリスイングランド東部,エセックス県西部のニュータウン。ハーロー地区を構成する。ロンドンの北北東約 30kmにある。第2次世界大戦後ロンドンの過剰人口を吸収するため,1946年のニュータウン法により 1947年ニュータウンとして指定され,都市計画に基づいて建設された。印刷,冶金,医療器具,科学機器,工作機械,家具などの工業がある。面積 26km2。人口 8万8296(2001)。

ハーロー
Harlow, Jean

[生]1911.3.3. ミズーリ,カンザスシティー
[没]1937.6.7. カリフォルニア,ロサンゼルス
アメリカ合衆国の女優。本名 Harlean Carpenter。「セクシーブロンド女優」の元祖的存在。両親の離婚後,母親とともにロサンゼルスに移り住んだ。16歳で高校を退学して駆け落ち結婚するが,1928年夫の反対を押し切って女優の道に入り,離婚。元映画制作者で実業家のハワード・ヒューズの目に留まり,ヒューズが監督した『地獄の天使』Hell's Angels(1930)を無声映画からトーキーに撮り直す際,スウェーデン人女優グレタ・ニッセンに代わってヒロインに抜擢された。何本かの作品で華やかなだけの端役を演じたのち,6万ドルでメトロ=ゴールドウィン=メイヤー MGMに移籍。『紅塵』Red Dust(1932),『晩餐八時』Dinner at Eight(1933)など出演作を重ねるたびに,映画ファンや批評家,関係者の間で人気が高まり,いずれも興行的に大成功を収めた。1934年に映画制作倫理規定が強化されると,それまでのセクシー路線に代わり,知的で繊細なイメージを打ち出した。女優としての成功とは裏腹に,私生活は恵まれなかった。MGMの重役だった 2番目の夫は 1932年に自殺とみられる事故で死亡し,撮影監督だった 3番目の夫とは 1年足らずで離婚。俳優ウィリアム・パウエルと結婚間近だった 1937年,尿毒症のため 26歳で死去した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ハーロー【Jean Harlow】

1911‐37
アメリカの映画女優。〈プラチナ・ブロンド〉の代名詞で呼ばれ,戦後のマリリン・モンローに匹敵するハリウッドのセックス・シンボル。ミズーリ州カンザス・シティ生れ。16歳のとき21歳の青年と駆落ち結婚してロサンゼルスに落着き,まもなく離婚。ハル・ローチ撮影所の短編喜劇に出演するかたわらエルンスト・ルビッチ監督の《ラヴ・パレード》(1929)やチャップリンの《街の灯》(1931)などにエキストラ出演しているところをハワード・ヒューズに認められて航空映画《地獄の天使》(1930)に娼婦の役で出演,〈ブラジャーなしで突出した豊かな乳房〉をもったこの輝くばかりのプラチナ・ブロンドの美女はたちまち人気スターとなった。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ハーロー
はーろー
Harry Frederick Harlow
(1905―1981)

アメリカの動物心理学者。スタンフォード大学で学位を得て、ウィスコンシン大学の心理学研究室へ赴任し、サルの研究を始めた1932年以来1974年に退職するまでに、霊長類研究所を創立して多くの弟子を育て、初期の霊長類行動研究の発展に貢献した。とくに、多様に変化する刺激対象を用いた弁別課題を次々と与えて、いかに学ぶべきかを学習させたといわれる学習セットの形成、またアカゲザルの母子の愛情の形成や、遊びと性行動など社会的適応の発達に必要な要因や臨界期を明らかにした隔離飼育実験は、よく知られている。いずれも新しい研究法として、多くの重要な問題を提起した。[室伏靖子]
『ハーロウ著、浜田寿美男訳『愛のなりたち』(1978・ミネルヴァ書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内のハーローの言及

【グラマー女優】より

…百万長者をたらしこんで金を巻き上げるコーラスガール(踊り子)たちを主人公にした,アニタ・ルースのユーモア小説《紳士は金髪がお好き》の最初の映画化(マルカム・セイント・クレア監督,ルス・テーラー,アリス・ホワイト主演)が行われた1928年ころから使われ出し,30年代のブロンド女優の〈セックス・アピール〉の代名詞になった。神秘的で,洗練されていて,非現実的な(つまりは露骨ではない)性的魅力を意味し,当時大流行の上流社会のセックス・コメディ(スクリューボール・コメディと呼ばれた)の女優たち,とくに《プラチナ・ブロンド》(1931)のジーン・ハーロー,《生活の設計》(1933)のミリアム・ホプキンズ,《特急二十世紀》(1934)のキャロル・ロンバードらにその典型が見られる。しかしことばそのものは流行語になるとともに風化していき,やがて30年代の〈セクシーな〉女優の大半が安易に〈グラマーガールglamour girl〉の名で呼ばれるに至り(その中には〈ベビー・バンプ〉とも呼ばれたメエ・ウェストもいた),また,38年には,ファッションの世界でも〈ベスト・ドレッサー〉の代名詞として使われるようになり,ブレンダ・フレーザーという黒髪の美女に〈グラマーガール〉のニックネームが付されて話題を呼んだ。…

【ヒューズ】より

…1926年,20歳のときからハリウッドへの投資を始め,ルイス・マイルストン監督《美人国二人行脚》(1927),《犯罪都市》(1931),ハワード・ホークス監督《暗黒街の顔役》(1930)などを製作し,みずからも1年半の歳月と400万ドルを投じた《地獄の天使》(1930)を撮った。空中アクション場面をとり入れた戦争メロドラマの凡作にすぎなかったものの,ジーン・ハーローを〈プラチナ・ブロンドのセックス・アピール〉として売り出し,話題になる。〈ハリウッドのカサノバ〉と呼ばれて次々にハリウッドの女優と浮き名を流すかたわら,会社を航空機製作と電子工学産業の複合体として飛躍発展させ,トランス・ワールド航空(TWA)の創立者の1人となり,また38年にはパイロットとして世界一周早まわり飛行記録をつくって名誉勲章をあたえられるなど,話題の中心人物であった。…

※「ハーロー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

ハーローの関連キーワードメトロ=ゴールドウィン=メイヤーシャーロット ランプリング三菱商事フューチャーズマリリン・モンローロナルド レイシーチャイコフスキーS. フェラガモラヴ・パレードジャンスキー上田八木短資シャプリーラブレース11月2日マクミラン学習の構えビートンマズロー3月3日

今日のキーワード

スカジャン

神奈川県横須賀市発祥のジャンパー。おもに化繊の生地の、スタジアムジャンパー風のデザインのジャンパーの背中に、虎や龍、富士山など和風のモチーフの刺繍を施したもの。第2次世界大戦後、横須賀基地に駐留したア...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

ハーローの関連情報