バモー(その他表記)Ba Maw

改訂新版 世界大百科事典 「バモー」の意味・わかりやすい解説

バモー
Ba Maw
生没年:1893-1977

ビルマ(現,ミャンマー)の政治家。中国国境に近いマウービンの出身。ラングーン大学の前身ジャドソン・カレッジ卒業後,カルカッタケンブリッジ,ボルドー各大学に学び,1924年イギリス高等法院の弁護士資格を取得。帰国後,ターヤーワディ地方を中心に起こった農民一揆(1930-32)の首謀者サヤーサンの弁護で名をあげた。33年貧民党を結成して政界に進出,34年教育相,37年財務相を歴任。インドからのビルマ分離後の37年初代首相に任命されたが,38年7月と9月の反インド人暴動,同年1月と11月の油田労働者の大デモ,警官隊に蹴散らされた政庁包囲の学生のうち1人の死亡,39年2月のマンダレーにおける学生,僧侶のデモ隊に対する警官隊の発砲など,一連の事件で39年下野した。40年イギリスのビルマ政策に抗議して議員を辞任,やがて逮捕・投獄された。42年日本軍に救出され,43年の日本によるビルマ独立許容と同時に国家元首となった。戦後戦犯容疑者として日本の巣鴨に抑留され,46年帰国したが,しだいに政治的影響力を失った。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バモー」の意味・わかりやすい解説

バ・モー
Ba Maw

[生]1893.2.8. マウビン
[没]1977.5.29. ラングーン
ビルマ (現ミャンマー) の政治家,民族運動指導者。ラングーン大学,カルカッタ大学 (インド) を卒業後,ケンブリッジ大学ボルドー大学に留学し,1924年にはビルマ人初の博士号を取得。帰国後は弁護士となり,31年にシンエタ (貧民) 党を組織するなど反英独立運動の指導者として活躍。英領植民地の行政区分上ビルマをインドから分離することとなった 37年憲法下では,最初のビルマ人首相に就任した。第2次世界大戦下,日本軍がビルマに侵攻した際には日本軍と協力して反英運動を展開。 43年8月には日本の傀儡政権ではあるが「独立」を達成し,国家代表の地位についた。終戦後,一時日本 (新潟県) に亡命していたが,英軍当局に出頭して帰国。ネ・ウィン政権下では保護拘禁下におかれながら晩年を過した。

バモー
Bhamo

ミャンマー北部,カチン州,バモー郡の行政中心地。マンダレーの北北東約 280kmに位置し,エイヤーワディ川に面するバモー盆地の中心地。古くから東方の中国ユンナン (雲南) 省と南方のマンダレーを結ぶ交易,軍事上の要地であった。中国では蛮暮と呼ばれ,元,明,清時代にはたびたび激戦の地となった。小蒸気船のエイヤーワディ川遡航最終点。住民はカチン族,ビルマ人,シャン族から成る。付近ではイネ,コーヒー栽培が行われている。人口7万 8183 (1983) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「バモー」の解説

バモー Ba Maw

1893-1977 ビルマ(ミャンマー)の政治家。
1893年2月8日生まれ。イギリス統治下,新統治法により1937年インドから分離後のビルマ初代首相。1939年辞職し,反英のビルマ自由同盟を組織。1943年日本の支配下でビルマ独立がみとめられ,元首となる。戦後,潜伏先の日本で戦犯として逮捕されたが,のち釈放されて政治活動を再開した。1977年5月29日死去。84歳。ラングーン大(現ジャドソン大)卒。著作に自伝「ビルマの夜明け」。

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百科事典マイペディア 「バモー」の意味・わかりやすい解説

バ・モー

ビルマ(現ミャンマー)の政治家。早く反英独立運動に参加,1937年インドから分離後の初代首相。第2次大戦中対日協力政権首相。のち日本へ亡命。戦後政界に復帰した。

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