バルト三国(読み)バルトサンゴク

デジタル大辞泉 「バルト三国」の意味・読み・例文・類語

バルト‐さんごく【バルト三国】

Baltic States》バルト海沿岸のエストニアラトビアリトアニア3国の総称。中世以来、ドイツ騎士団ポーランドスウェーデンロシアなどの支配を経て、第一次大戦後独立。1940年ソ連編入、1991年再び3国とも独立。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「バルト三国」の意味・読み・例文・類語

バルト‐さんごく【バルト三国】

  1. バルト海沿岸のエストニア、ラトビア、リトアニア三国の総称。中世以来、外部勢力が力を競いあった場所で、一三~一六世紀にはドイツ騎士団領、一六~一八世紀にはスウェーデン領、一八世紀には帝政ロシア領となったが、第一次世界大戦後独立。一九四〇年ソ連に編入、ソ連邦を構成する共和国となり、一九九一年三国が独立。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「バルト三国」の意味・わかりやすい解説

バルト三国【バルトさんごく】

バルト海南東岸のエストニアラトビアリトアニアをさす。民族的にはエストニア人はフィン・ウゴル系,ラトビア人とリトアニア人はインド・ヨーロッパ語族バルト語派。エストニアとラトビアの地域はドイツ騎士修道会リボニア騎士団)領の時代が長いが,リトアニアの地域はポーランド人と歴史を共有する。19世紀初めまでに3国ともロシア帝政下に入るが,1918年3国とも独立を宣言,1939年の独ソ不可侵条約に付属する秘密のモロトフ=リッベントロップ議定書により,翌年ソ連圏に入れられた。1941年―1944年ドイツ軍の占領後,ソ連圏に戻る。ソ連への編入過程で多くの亡命者が出,また第2次大戦後の集団化の時期も含めて十数万の人々がシベリア等に強制移住させられた。1980年代後半のペレストロイカのなかでソ連からの分離独立運動が高揚し,1991年8月独立を回復,翌月ソ連も承認した。独立国家共同体には入らず,2004年NATO北大西洋条約機構)およびEUヨーロッパ連合)に加入した。
→関連項目ヨーロッパヨーロッパ安全保障協力機構

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「バルト三国」の解説

バルト3国
バルトさんごく
Baltic States

バルト海東岸のエストニア・ラトビア・リトアニアの3共和国の総称
エストニアとラトビアは13世紀よりドイツ騎士団領となり,ドイツ人が先住民を支配した。17世紀にスウェーデン領,18世紀初めは北方戦争でロシア領となった。いっぽう,リトアニアはドイツ騎士団と争って独立を守ったが,ロシアとの対抗上,14世紀にヤゲウォ(ヤゲロー)朝としてポーランドと合同した。しかしロシアの支配が強化される中で,19世紀末のアレクサンドル3世によるロシア化政策に強く抵抗し,1917年ロシア革命の際,独立して3国とも共和国となった。イギリスの援助を受け,ドイツとソ連にはさまれながら独立を維持したが,1940年にはソ連の軍事的圧力で,ソ連に強制的に編入させられた。1941年ドイツに占領されたが,44年ソ連に復帰した。その後ゴルバチョフの時代に分離独立の運動が高まり,1991年8月のソ連共産党解散をうけて同年9月に3国は独立を回復し,国連に加盟した。独立国家共同体(CIS)への加入は三国とも拒否したが,北大西洋条約機構(NATO)および,ヨーロッパ連合(EU)加盟に関しては,ロシアの反対などもあって実現していない。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報