モロトフ(英語表記)Molotov, Vyacheslav Mikhailovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「モロトフ」の解説

モロトフ
Molotov, Vyacheslav Mikhailovich

[生]1890.3.9. ブヤトカ,クカルカ
[]1986.11.8. モスクワ
ソ連の政治家。本名 V.M.Skryabin。 1906年カザン中学に入学,同年ボルシェビキに加入。 09年逮捕,流刑となり,11年釈放。その後ペテルブルグの高等工業学校に学び,ボルシェビキの常勤オルガナイザーとなった。 17年の十月革命後共産党の地方組織の種々のポストを歴任。 26年政治局員。 30~41年人民委員会議議長 (首相) 。 39年5月外務人民委員を兼ね,同年8月独ソ不可侵条約締結。 41年5月 I.スターリンの首相就任に伴い第一副首相兼外相。 49年第一副首相専任。 53年 G.M.マレンコフ内閣の第一副首相兼外相。スターリンの忠実な片腕として活躍したが,スターリンの死後その威信も衰え,55年自己批判を余儀なくされ,56年外相を辞任。 57年6月党中央委員を含むすべてのポストを剥奪され,モンゴル大使に就任。 61年の第 22回党大会を前にして新綱領草案を修正主義と批判する意見書を送ったため,政治的に完全に失脚,年金生活に入った。 64年党籍剥奪が明らかになった。 84年に復党

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精選版 日本国語大辞典「モロトフ」の解説

モロトフ

(Vjačjeslav Mihailovič Molotov ビャチェスラフ=ミハイロビチ━) ソ連の政治家。本姓はスクリャービン。一九〇六年ロシア社会民主労働党に入党。十月革命後コミンテルン常任委員、三〇~四一年人民委員会議長(首相)。三九年以降は外務人民委員(外相)を兼ね、スターリンの片腕として、第二次世界大戦前夜、戦中・戦後のソ連外交を指導した。スターリン死後も外相・副首相となり、モンゴル人民共和国駐在大使などを歴任した。(一八九〇‐一九八六

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旺文社世界史事典 三訂版「モロトフ」の解説

モロトフ
Vyacheslav Mikhailovich Molotov

1890〜1986
旧ソ連の政治家
1906年ボリシェヴィキに入り,ロシア革命に参加し,その後共産党の要職を歴任。1930年には人民委員会議長,さらに39年外相に就任してからは,ソ連外交の中心として第二次世界大戦中,テヘランヤルタポツダムの諸会談に出席。スターリン死後,フルシチョフ路線に反対したため,1956年外相を解任され,失脚して61年に除名された。

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百科事典マイペディア「モロトフ」の解説

モロトフ

ソ連の政治家。学生時代から共産党活動に参加,十月革命ではペテルブルグで革命を指導。1921年党中央委員,1926年政治局員。さらに首相(1930年―1941年),外相(1939年―1949年,1953年―1956年)として内政・外交を指導。1957年反党グループとして失脚,1961年党から除名。
→関連項目日ソ中立条約ベリヤ

モロトフ

ペルミ

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デジタル大辞泉「モロトフ」の解説

モロトフ(Vyacheslav Mikhaylovich Molotov)

[1890~1986]ソ連の政治家。1930年ソ連邦人民委員会議議長に就任、1939年外務人民委員として独ソ不可侵条約を締結。第二次大戦中、戦後を通じてソビエト外交を指導し、スターリンを補佐してきたが、フルシチョフ時代に失脚した。

モロトフ(Molotov/Молотов)

ロシア連邦の都市ペルミ旧称

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世界大百科事典 第2版「モロトフ」の解説

モロトフ【Vyacheslav Mikhailovich Molotov】

1890‐1986
ソ連邦の政治家。1906年社会民主労働党に入党。15年流刑先のシベリアから脱走してペトログラードで地下活動に従事し,十月革命ではまず同市軍事委員会委員,ついで北ロシア,ボルガ,ドネツ地方で活躍した。21年共産党中央委員兼書記,26年政治局員へと昇進した。コミンテルンでも27年以降,連続して執行委員会幹部会のメンバーに選ばれ,29年ブハーリン失脚後,事実上の指導者となったが,30年人民委員会議議長(首相)に就任して第一線から退いた。

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世界大百科事典内のモロトフの言及

【ペルミ】より

…中部ウラル地方の西側にあり,人口109万3000(1993)。旧名モロトフMolotov(1940‐57)。カマ川とその支流チュソバヤ川の合流点の少し下流に位置し,市街地はカマ川両岸にまたがるが,東岸のほうが大きい。…

【ソビエト連邦】より

…スターリン批判はハンガリー事件のように東ヨーロッパでの動揺を呼び起こし,それがソ連国内の再引締めを招いた。しかし,スターリン派のモロトフらがフルシチョフ追落しを策して,逆に失脚すると,フルシチョフの地位は盤石のものとなり,58年ブルガーニンから首相の職を取り上げ,党第一書記と兼任するにいたった。 彼は平和共存を唱えて,59年にはアメリカを訪問した。…

※「モロトフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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