本名スクリャビンСкрябин/Skryabin。ソ連の政治家。3月9日にロシアのビヤトカ県(現キーロフ州)の執事の家に生まれる。1902年にカザンの実科学校に入学、在学中の1906年にボリシェビキ党に入る。非合法の革命運動により幾度も逮捕され、1917年の革命時には軍事革命委員として活躍。1920年に党中央委員候補に選ばれ、1921年に党中央委員となり、政治局員候補兼書記として最高指導部の一員となる。1926年政治局員に昇進、1930年人民委員会議議長(首相)となり、1939年には外務人民委員(外相)を兼務。1941年5月にスターリンが人民委員会議議長に就任したあと同第一副議長兼外務人民委員としてスターリンを助け、第二次世界大戦中テヘラン、ヤルタ、ポツダムの巨頭会談に出席。1949年外相の地位から離れたが、1953年のスターリンの死後、ふたたび第一副首相兼外相となる。1957年6月フルシチョフ党第一書記の追放を策して失敗し、モンゴル駐在大使に左遷される。1960年ジュネーブの国際原子力機関代表に転じ、1961年の第22回党大会には党綱領草案は修正主義的であるとの意見書を提出し、批判を受け、完全に失脚。1972年から年金生活に入った。1984年名誉回復、1986年11月8日に死去。墓はフルシチョフと同じくモスクワのノボジェービチー修道院の墓地にある。
[中西 治]
ロシア連邦中部、ペルミ州の州都ペルミの旧称。
[編集部]
ソ連邦の政治家。1906年社会民主労働党に入党。15年流刑先のシベリアから脱走してペトログラードで地下活動に従事し,十月革命ではまず同市軍事委員会委員,ついで北ロシア,ボルガ,ドネツ地方で活躍した。21年共産党中央委員兼書記,26年政治局員へと昇進した。コミンテルンでも27年以降,連続して執行委員会幹部会のメンバーに選ばれ,29年ブハーリン失脚後,事実上の指導者となったが,30年人民委員会議議長(首相)に就任して第一線から退いた。終始スターリンの政策の忠実かつ冷酷な執行者の役割に徹し,39年5月から外務人民委員を兼ね,同年独ソ不可侵条約を締結して世界を驚倒させた。41年スターリンに人民委員会議議長の職を譲り,みずからは外交部門の指揮に当たり,独ソ戦が勃発すると国家防衛委員会副議長として議長スターリンを補佐し,また戦中から戦後の対英米折衝でしたたかな交渉ぶりを発揮した。スターリンの死(1953)後も集団指導制の一角を占めたが,57年フルシチョフ追落しの〈反党グループ〉の主謀者としてモンゴル大使に左遷された。のち国際原子力機関代表を最後に,62年年金生活に入った。
執筆者:平井 友義
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1890~1986
ソ連の政治家。1906年にロシア社会民主労働党入党。16年ボリシェヴィキ党中央委員会ビューローの一員となり,二月革命を迎える。十月革命時は軍事革命委員会の一員。26年政治局員となり,スターリンの片腕として活躍。30年首相(~41年),39年には外務人民委員となり,第二次世界大戦前夜,戦中,戦後のソ連外交を指導した。スターリン死後も副首相兼外相であったが,57年に失脚。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…中部ウラル地方の西側にあり,人口109万3000(1993)。旧名モロトフMolotov(1940‐57)。カマ川とその支流チュソバヤ川の合流点の少し下流に位置し,市街地はカマ川両岸にまたがるが,東岸のほうが大きい。…
…スターリン批判はハンガリー事件のように東ヨーロッパでの動揺を呼び起こし,それがソ連国内の再引締めを招いた。しかし,スターリン派のモロトフらがフルシチョフ追落しを策して,逆に失脚すると,フルシチョフの地位は盤石のものとなり,58年ブルガーニンから首相の職を取り上げ,党第一書記と兼任するにいたった。 彼は平和共存を唱えて,59年にはアメリカを訪問した。…
※「モロトフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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