パシュカーニス(読み)ぱしゅかーにす(その他表記)Евгений Брониславович Пашуканис/Evgeniy Bronislavovich Pashukanis

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パシュカーニス」の意味・わかりやすい解説

パシュカーニス
ぱしゅかーにす
Евгений Брониславович Пашуканис/Evgeniy Bronislavovich Pashukanis
(1891―1937)

1920年代から1930年代なかばにかけてのソ連の代表的なマルクス主義法律家。社会主義アカデミー(後の共産主義アカデミー)の法学部門に属し、1930年代には同アカデミーソビエト建設・法研究所長に就任、1936年憲法の起草作業にも参加し、司法人民委員代理を務めたが、その後「粛清」の犠牲となり不幸な死を遂げた。理論業績は多岐にわたるが、彼の名を高からしめたのは「パシュカーニス理論」として知られる法の一般理論分野での仕事である。資本主義社会における成熟した法の体系に即して、法を社会関係の特殊な形態としてとらえ、この形態の独自の論理マルクス資本論』の交換過程論の解釈に基づき商品所有者間の意思関係に求めるとともに、法の一般理論を『資本論』叙述と同様の「上向法」によって体系化しようとした。この試みは1936年憲法成立後、「交換理論」、社会主義法を本質的にブルジョア法的なものとみなしてその「死滅」を説く反マルクス主義的理論等として批判されたが、国際的にはそのユニークさが高く評価され、ソ連においてもスターリン批判後あらためて客観的な位置づけがなされるようになり、1980年には主著『法の一般理論とマルクス主義』が再刊されるに至っている。

[大江泰一郎]

『稲子恒夫訳『法の一般理論とマルクス主義』改訂版(1967・日本評論社)』『藤田勇著『ソビエト法理論史研究』(1968・岩波書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「パシュカーニス」の意味・わかりやすい解説

パシュカーニス
Evgenii Bronislavovich Pashukanis
生没年:1891-1937

1920年代から30年代中期にかけてのソ連邦の代表的マルクス主義法学者。リトアニア人の医師の家に生まれ,ペテルブルグでのギムナジア時代から革命運動に参加する。1910年国外追放となり,ミュンヘン大学に学ぶ。十月革命後の18年にロシア共産党に入党。この年から社会主義社会科学アカデミーで活動する一方,裁判所,外務人民委員部で実務に従事。22年より社会主義(のち共産主義)アカデミーの法・国家の一般理論セクションの指導的メンバーとなる。31年より同アカデミーのソビエト建設・法研究所長となる。のち同アカデミー副総裁。36年,スターリン憲法の起草に加わり,ソ連邦司法人民委員代理に任命されたが,37年大粛清の犠牲となる。

 主著《法の一般理論とマルクス主義》(1924。邦訳1930)は,マルクスの《資本論》の方法に依拠し,とくに商品形態と法形態との内的連関の解明によって,ブルジョア法の体系的批判の方法的基礎を築き,あわせてプロレタリア革命後の法の死滅の展望を理論化しようとしたもので,初期ソビエト法学において〈綱領的文献〉とされ,国際的に〈パシュカーニス理論〉の名を高めた。この理論は,スターリン時代への移行とともに〈交換理論〉として批判され,パシュカーニスも自己批判によって方法的転換を試みた(法の〈商品〉形態論から階級的性格論への,法の死滅論から社会主義法論への移行)。スターリン批判後名誉回復され,80年に著作集が刊行された。その他の主著に《帝国主義植民地政策》(1928),《国家と法の学説》(1932),《国際法概論》(1935。邦訳1937)などがある。
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百科事典マイペディア 「パシュカーニス」の意味・わかりやすい解説

パシュカーニス

ソ連の法学者。法は商品交換社会の産物であり,社会主義社会では本来法は死滅すると説いた。1937年にビシンスキーに批判され,失脚。スターリン批判後,名誉回復。主著《法の一般理論とマルクス主義》。

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