改訂新版 世界大百科事典 「ビシンスキー」の意味・わかりやすい解説
ビシンスキー
Andrei Yanuar'evich Vyshinskii
生没年:1883-1954
スターリン時代のソ連邦の代表的法律家。オデッサに生まれ,キエフ大学を卒業。十月革命後1920年から共産党員。20年代は,モスクワ大学で刑事訴訟法を講じ,学長もつとめた。33年よりソ連邦検事総長代理,検事総長,司法人民委員代理などを歴任。この間,36-38年の大粛清裁判の国家公訴人として脚光をあびる。37-41年には,ソ連邦科学アカデミー国家・法研究所長として,社会主義国家・法の最大限の強化という路線に従い,パシュカーニスらの弾劾を通じて〈ソビエト社会主義法学〉の形成を主導し,法実証主義的・法教義学的性格の濃厚なソビエト法学の〈ビシンスキー時代〉を招来する。第2次世界大戦後は,外務大臣,国連首席代表として国際政治の舞台で活躍。死後,法学におけるスターリン批判の対象となる。主著に《刑事訴訟法教程》(1927),《ソビエト法における裁判証拠の理論》(1941),《国家と法の理論的諸問題》《国際法と国際政治の諸問題》(ともに1949)などがある。
執筆者:藤田 勇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報