パレスチナ地方のうち、パレスチナ人による自治が行われている地域。ヨルダン川西岸地区(5655平方キロメートル)と地中海に面したガザ地区(365平方キロメートル)を合わせた6020平方キロメートルからなる。これらの地域は、1967年の第三次中東戦争でイスラエルに占領されたが、1990年代の「パレスチナ暫定自治合意」(オスロ合意とも。1993年9月)、「ガザ・エリコ合意」(1994年5月)、「暫定自治拡大協定」(第二オスロ合意とも。1995年9月)、および1996年に実施された自治選挙によって、パレスチナ人による自治が行われるようになった。難民も含めた2012年の人口は、約429万(ヨルダン川西岸が約265万、ガザ地区が約164万)。これは、イスラエルやアラブ諸国など海外を含めたパレスチナ人総人口1100万の約38%に相当する(パレスチナ中央統計局)。
自治区のうち、ヨルダン川西岸地区(東エルサレムは含まない)は、「暫定自治拡大協定」に基づいてA、B、Cの3地域に区分されている。A地域は、パレスチナ自治政府が治安と行政の権限をもつ完全自治、B地域は、治安についてはイスラエルが優越した権限を持ち、自治政府は行政権をもつが、治安に関してはパレスチナ人同士の刑事事件や交通警察などに限定されている。C地域は、主にイスラエル軍の要衝や入植地で、治安と行政のほとんどの権限をイスラエルが有する。B、C地域は和平交渉の進展によって順次A地域に移行することになっているが、現在もヨルダン川西岸地区の約6割がC地域にとどまっている。
ガザ地区については、2005年9月にイスラエル軍が撤退した。しかし、2006年1月に行われたパレスチナ立法評議会選挙で、イスラム政党のハマスがパレスチナ解放機構(PLO)主流派のファタハに圧勝したことからパレスチナ勢力間の対立が激化し、ハマスは2007年にガザ地区を制圧した。イスラエルも、ハマスによる実効支配が続くガザ地区への軍事攻撃を繰り返している。
1990年代はエジプトやヨルダンなどとの交易が延び、自治区の経済成長を促した。だが、2000年の第二次インティファーダ(民衆蜂起)やイスラエルとの衝突などに伴うイスラエルによる自治区封鎖や移動制限により、経済は大きな打撃を受けた。2006年のイスラエル軍によるガザ侵攻や翌年のハマスによるガザ制圧による混乱など、軍事的、政治的混乱によって経済状況が乱高下する。また、2002年からヨルダン川西岸地区で建設が始まったイスラエルによる分離壁も人や物資の移動を阻害し、日常生活や経済活動を妨げている。
2011年のGDP成長率は8.7%と順調な伸びをみせているが、同年の一人あたりの域内総生産は1594ドル(西岸1955ドル、ガザ1061ドル)、失業率は20.9%(西岸17.3%、ガザ28.7%)にのぼる。人口増加率は、毎年3%前後で、若年層の失業率が高い。(パレスチナ中央統計局)
言語はアラビア語、宗教はイスラム教92%、キリスト教7%、その他1%である。新聞にはアラビア語のアルクドゥス、アルアイヤム、アルハヤート・アルジャディーダ、英字紙のパレスチナ・タイムズなどがある。政府系のパレスチナ通信、パレスチナ・テレビ、パレスチナ・ラジオのほか、ハマスが運営するアルアクサ・テレビ、民間の通信社や放送局がある。
日本政府は「経済・社会の自立化促進による平和構築」をパレスチナ援助の基本方針として、2011年度までの累積で約914億円(無償資金協力829億円、技術協力85億円)の援助を行ってきた。支援は国際機関やNGOと協力しながら、食料援助や医療・公衆衛生インフラ整備、教育、農業分野、専門家の育成など多岐にわたる。また、日本政府は2013年2月に「パレスチナ開発のための東アジア協力促進会合(CEAPAD:Conference on Cooperation among East Asian Countries for Palestinian Development)」の初会合を東京で開催した。会合には、自治政府のファイヤード首相、イスラム教徒の多いインドネシアやマレーシアなどアジア諸国のほか、国連、世界銀行なども参加した。
[勝又郁子]
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